電力使用量NOW

2010年8月29日日曜日

ふね

ふねにのって北海道。

以上。

2010年8月28日土曜日

快晴

今日はいい天気でございます。
これから浜松ってきます。

さてさて、暑い一日になりそうだ。

ところで、仕事先でいただいたお飲み物。
韓国の果肉入りドリンクだそうな。
その果肉の入りっぷりったら…!
すげーつぶつぶ感!


なかなかおいしかった。
ごちそうさま。

以上。

2010年8月27日金曜日

レアアイテム

いただいた。
うなぎパイの根付。
レアアイテム!
以上。

ピアノ炎上

ふと気になって、山下洋輔を久しぶりに聴きたくなった。

山下洋輔といえばフリージャズ。

かつての60〜70年代、日本が不安定な時代。早稲田大学4号館バリケード内でピアノ演奏を行い、歴史にその名を知られている山下洋輔トリオ。他にもヨーロッパ演奏で大絶賛されたとか、燃えさかるピアノを弾き続ける記録映像「ピアノ炎上」とか、何よりあの「タモリ」を発掘したとか、その伝説的逸話の数々は枚挙に暇がない。

その山下洋輔の生み出す音楽だが、自分の感覚の変化を確かめるのに、山下洋輔トリオのフリージャズは大変有効な手段であると考えている。つまり、未だ完全に理解できない「フリージャズ」という領域に対して、純粋に自分自身がどう向き合うか?という問題。

ピアノ炎上。
粟津潔氏の依頼で、炎上するピアノを弾く山下氏。
最後には音程は消失し、鍵盤の打音のみが残る。


最近、その伝説的とも言える山下洋輔トリオが復活し、ライヴを行ったとのこと。

代表曲「GUGAN」。
この燃え上がるようなエネルギーはすごい。
そして、一見でたらめなように聞こえるが、実は起承転結があり、
音楽として成立しているのもすごい。


未だ到達できない、ジャズの一つの完成形。
いや、未だ進化し続けているのかも知れない。

いずれにせよ、理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

以上。

2010年8月26日木曜日

[ニュース]アップル、新型iPod発表?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100826-00000443-reu-bus_all

なんだかんだで、この会社は世間から注目されてるのね。

古参としては、肝心のコンピュータ事業はどうなっとる?と言いたくなるが…。

さて、今日も仕事だ。

以上。

2010年8月25日水曜日

[演奏記録]ひとりYMO「Tong Poo」Take-1

しょぼい動画が撮れました。
一人一役ならまだいいんですけど、エレクトーンで一人3役くらいやってるから…。
そしれ、普段足で弾くベースを省略すると何とも言えぬ違和感が。
いやあ、弾きづらい。

「Tong Poo」by Yellow Magic Orchestra
キーボード:プラズマさん ベース:プラズマさん

何も考えずに一気に弾いたので、集中力が続かない。
間違えまくってるし。
次回に期待。

以上。

[ニュース]株価9000円切り、円相場1ドル83円台へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100825-00000001-jij-int
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100824-00000112-jij-bus_all

日本の終わりの始まり。

こんなんなっても、民主党の連中は代表選に一生懸命。
内輪の醜い争いにチャンチャンバラバラ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000001-maip-pol.view-000
「民主代表選 高まる主戦論 小沢氏「9月勝負だ」」

何こいつらニヤニヤしてんの?
何が「9月勝負だ」だ。

それどころじゃないだろう!
本気で日本の産業を潰す気か?
もうダメだこの国。

以上。

2010年8月24日火曜日

毒を以て毒を制す

世の中規制規制の嵐。
ノベル・マンガなど、メディアの「言葉狩り」が行われている。

その背景には必ずと言っていいほど「凶悪事件犯が、このようなマンガを所有していた」的な、要するにメディアを悪者にしたい風潮がある。

だが「ドラえもん」を悪者にしようという言葉は聞かない。むしろ、奨励されているのではないか?と思うほど、文化庁の宣伝媒体に登場したり、その他団体の広告にも頻繁に起用されている。

以下のコマをご覧頂きたい。




「毒」と言うものをふんだんに含んだ、藤子先生の仕事。ドラえもんはこうでなければ。

このような表現から世の中の毒を学ぶと言うことも多いはずだ。文化庁のお偉い方々が、いかに「ドラえもん」を読まずに広告媒体に起用したかがよく分かる。似たような表現でも「ラオウ」や「ケンシロウ」では、まず撥ねられるだろう。

世の中「毒を以て毒を制す」ということも必要なのではないか?そうやって毒というものを学んでいく機会。最近はそんなことすら「言葉狩り」で不可能になっている。

以上。

2010年8月22日日曜日

今日借りてきたCD


上:バルトーク「打楽器と2台のピアノのためのソナタ」他

左下:八代亜紀「スーパーベスト」

右下:デオダート「ツァラトゥストラはかく語りき」

八代大先生のCD、ずっと借りようと思っていたんですよね。どうせ借りるなら、全く違う音楽と借りようと思ってましてね。

以上。

「インターネット」というものについて

今日、こんなニュースを見つけた。

図書館長「了解求めないアクセスが問題」 HP閲覧不能

愛知の岡崎市立図書館が「サイバー攻撃を受けた」として、クローラープログラムを作った会社社長を逮捕したとのこと。この社長は、図書館のHPに合計3万3千回のアクセスを行い、図書館側は集中的なアクセスによってHPの閲覧がしづらい状態が続き、「サイバー攻撃」を受けたように見えたことが逮捕の理由とのこと。

図書館の館長は「クローラープログラムに違法性がないことは知っていたが、図書館に了解を求めることなく、繰り返しアクセスしたことが問題だ」と話しているらしい。また、HPが閲覧しづらくなったことについては「図書館側のソフトに不具合はなく、図書館側に責任はない」とのこと。



滑稽もいいところ。
特にここ。

>図書館に了解を求めることなく、繰り返しアクセスしたことが問題だ

これが問題だとしたら、インターネットというものそのものが否定されることになる。

この「繰り返しアクセス」とあるが、別の記事には「3万3千回」とある。ただし、この数字だけでは分母が分からない(どれくらいの期間に3万3千回なのか?ということ)ので、書き方としては悪意のある書き方と捉えられても仕方ない。

別の記事には以下のようにある。

図書館の館長は「通常の利用者とは違う方法で大量のアクセスがあり、想定していなかった。図書館には非がなく、男性のプログラムの方法がまずい」と話しているとのこと。

サーバー管理の認識が甘いと言わざるを得ない。きっとこの図書館は、こういった一悶着がなければ、永遠に「想定していなかった」に違いない。確かに、この社長のプログラムは思慮が足りなかった部分もあるかも知れない。でも、一般的なクローラーって、どの検索サイトも使ってるよね。それなのに、どう考えたら「図書館に了解を求めることなく、繰り返しアクセスしたことが問題だ」なんて言えるんだろう?

そもそも、HPというものは「全世界に情報を発信する」という手段なワケだ。人間が何十億人もいれば、自分が想定していないことが起きたって全然不思議じゃない。

ブログにしてもHPにしてもTwitterにしても、すごい気軽に始められるようになった分、全世界に自分の情報が発信されているという認識の無い御仁もおられるのではないだろうか。

そのような「世界に向けた」情報を「勝手に見るな!」というのは、あまりにも一方的で勝手な意見ではないだろうか?勝手に見られたくないならネット上に晒さなければいいだけの話。この図書館の場合、館内だけの閲覧にすれば良かったのだ。それを世界に向けて公開したのだから「了解を求めることなく」や「想定していなかった」というのは言い訳でしかないのではないか?利用者の利便を考慮してHPとして世界に公開したのなら、このような言い訳は一番言ってはいけないことではないだろうか?

まあ、この社長もひとこと問い合わせるくらいの考慮が必要だったのかも知れない。「おたくの新着情報をクロールしたいのですが、サーバーのキャパシティはどのようなもんでしょ?」ってね。だけど、この程度の認識なんだったら、どうせまともな答えは返ってこないだろうけどね。「やめてくれ」とか「担当者が不在のため分からない」とか、テンプレートね。

世界中にはきっと、こういった放置されっぱなしのサーバーが大量に存在するに違いない。だからこそ、しっかりしたサーバー管理者が必要であると思う。自分たちの都合だけでインターネットを捉えてはいけない。それこそコンピューターの世界なんて日進月歩の世界なのだから、責任ある団体のHPであるなら、それなりの責任感を持って管理するべきであると思う。その責任を放棄した結果「想定していなかった」という言い訳になるわけだ。怠慢であるほかに言いようがない。

PCやインターネットというものの敷居が下がって、誰でも気軽に使えるようになった分、自分の使っている道具(PCやインターネットのことね)に無頓着な人が増えたのではないだろうか?分からない、知らないではどうしようもない。自分の身を守るのは、結局自分自身であるということだ。もうちょっと、PCやインターネットとの付き合い方を考えても良いのではないだろうか?

以上。

2010年8月21日土曜日

休日だけども



今から仕事行ってきます。

今日は高校生数学です。

以上。

2010年8月19日木曜日

惰眠



ねこですから。

以上。

2010年8月18日水曜日

猛暑

OUT TEMP→外気温

以上。

2010年8月17日火曜日

ケータイの電波

最近、自分のまわりでiPhoneに乗り換えるお方が増えている。
ただし、口々に言われるのが「ソフトバンクは電波が悪い」というお言葉。
有名な話である。

ホントに悪いの?と思って調べてみると、結構いろいろなこと分かった。
決して電波が悪い=電波の質が悪い…ってワケではないらしい。
以下、分かったことを書き出してみる。

図が一切ないが、ご容赦願いたい。

ご存じの通り、ソフトバンクモバイルの親会社はソフトバンクである。
このソフトバンクモバイル、親会社であるソフトバンクがボーダフォンを買収する前は「携帯電話事業者免許」の取得に躍起になり、取得後は「新会社を設立する」ではなく、結局ボーダフォンを買収したという経緯をたどって誕生している。

ところで、ケータイの電波というのは「(=電波)」であるから、周波数を持っている。ラジオの周波数と同じものだと考えればいい。AMは1000kHz(=1MHz)あたり、FMは70〜100MHzあたりの電波を使って放送を行っている。

車でラジオを聴かれる方はすぐに分かってもらえると思うが、FMは音質面で有利だが、山道などの電波が弱そうなところでは、すぐにノイズで放送が遮られてしまう。一方、AMは音質面ではFMに及ばないものの、少しくらいの山道、トンネルならば問題ないレベルで放送を聴くことができてしまう。

このAM、FMの違いは…もちろん周波数なのであるが、この周波数の違いが電波の「拡散」「回折」の違いでもある。言ってしまえば、周波数が低ければ低いほど直進せずに拡散・回折しやすく、周波数が高ければ高いほど拡散・回折せずに直進しやすいということである。また、回折とは波の回り込みのことで、トンネルのような電波が遮断される場所でAMラジオが聴けるのは、AMの波がトンネルの内部まで回り込んでくるためである。

現在の日本において、電波法によってケータイに割り当てられた周波数は、主に800MHz帯と2GHz帯の2つである。ちなみにPHSは1.9GHz近辺、また身近な例では2.45GHzは電子レンジに使われている。

その昔PHSが「地下ではつながりにくい」といわれていたのは、この1.9GHzという比較的高い周波数のせいで、周波数が高いので電波が回り込まず(回折せず)、地下のような場所、またビルの隙間などでは電波が届かなくなる、という現象が起きた。気をつけてもらいたいのは、決して「電波そのものの質が悪い」とか「出力が弱い」という問題ではないことだ。電波の種類が違うのだから、ケータイの800MHzと異なって当たり前である。

ソフトバンクモバイルは、現段階で2GHzの使用許可しか得ておらず、800MHz帯を使うことができないらしい。対照的にDocomoやauは、2GHzと800MHz両方使うことは出来るものの、800MHz帯の放送基地をたくさん所有しており、2GHzの放送基地をあまり所有していない。詳しくは「第3世代移動通信システム」を参照。

しかしながら、世界の主流は2GHz帯の方である。2GHz帯の方がデータ通信速度の点で有利なので、スマートフォンのような「パソコンを小さくしたようなケータイ」を作るメーカは、2GHz帯を選択する…iPhone(=アップル)もその1つであった。

Docomoやauが「つながりやすい」、ソフトバンクモバイルが「つながりにくい」のは周波数の違いであって、決して電波の質の問題ではないということに注意したい。PHSの例と同じく、そもそも特性の違うものなのだから、それが目に見える「電波の数」に現れて当たり前なのである。

ソフトバンクモバイルは、この「2GHzしか持っていない」ことを逆手に取り、iPhoneの契約にこぎ着けたと見られる。両者Win-Win、至極当然の流れと言えよう。

Docomo、auは「つながりやすさ」に大きなウェイトを置き、2GHzの通信には現段階であまり興味がないらしい。だから「DocomoでiPhone」は、もともと不可能なシロモノなのである。いくらSIMロック解除!とか言ったって、ソフトバンクモバイルより悲惨な電波状況になるのは火を見るより明らかである。だって、ソフトバンクモバイルよりも基地が少ないんだもん。

ただ、日本の国土の半分は森林・山である。その辺りを考慮すると、Docomoやauが重きを置く「つながりやすさ」というのは重要なパラメータであるように思う。いくら便利なスマートフォンだって、電波がなければ意味がない。電話が出来なければ「フォン」でなくなってしまうわけである。

ではどうすればいいか?
2GHz帯の基地、アンテナを増やすしかないだろう。

郊外に「どーん」と立っているケータイのアンテナ。あれは800MHz帯のものである。対照的に、2GHzではアンテナも小型化出来る。それこそPHSの時代には自動販売機の片隅にも設置出来たように、800MHzと比較して小型なのである。その昔、PHSの会社が鬼のようにアンテナを増設したかの如く、いろいろなところにアンテナを増設するしか手はないだろう。逆に言えば、ソフトバンクモバイルがiPhoneによってある程度の利益を上げている一方、その利益を利用者に還元しない(=アンテナの数を増やさない)のは怠慢であると言えるのかも知れない。まあ、その辺はあちら(欧米)とこちら(日本)では事情が違うのかも知れないが…でもNYもすごいビルディングだらけだよね。何なんだろ。やっぱ怠慢なのかな?

今後、世界的なケータイの電波規格はいよいよ4Gへと移行していくわけだが、日本の事情から、なかなかGHz帯への移行が進んでいない。日本のケータイはこれから先、スマートフォンとガラパゴスケータイが混在する、極めて特殊な状況になっていくだろう。

以上。

エアコン修理

車のね。
といってもガスを入れるだけ。

見てると、ガスレギュレータみたいなのと冷媒ガスをつないで、車の配管にくっつける。そして、バルブを少しずつ開けながら、配管内のガス圧を高くしていくみたい。

エアコンの配管は高圧側と低圧側に分かれています。
エアコンは冷媒の圧縮と膨張、気化、液化の繰り返し。
その過程で「気化熱」をうまく利用することによって、
気温を下げています。

冷媒は「HFC-134a」。
ハイドロフルオロカーボンと呼ばれる温室効果ガス。
中古車からこのガスを集めてきて、プラズマ使って絶縁膜堆積できないかな…。
いや、ガス処理用の手段としてプラズマを利用するとか?

レギュレータにも似た物体。
簡単に言えばシングルバルブレギュレータなのだが、
それが2つつながっている構造。
左側が低圧用、右側が高圧用。
真空引き用のバルブとパージガス用のバルブがあった。
奥深い。興味深い。

結局、エアコンは寒いくらいに効くようになりましたとさ。

以上。

2010年8月16日月曜日

森メタル

先日知った「コルピクラーニ」というバンドのPV。
フィンランドのトラッドフォークメタルバンドらしい。
個人的にスゲー勢いでツボだったので、忘れないようにしておこう。

ドラムがソナーってのがヨーロッパのバンドだなぁって一端。
ヴァイオリンじゃなくてフィドルね。
のっけから「北欧」って感じの家から、似つかわしくない人が出てくる。



彼らは元々、本当のトラッドフォークを演奏していたらしい。
でも、バンド名を変えてからメタル路線に変更したとのこと。

Amazonで早速CDをチェックすると、現在は国内盤がほぼ全滅の模様。
輸入盤が販売されてる。

コメントには「コレが正統派メタル、ハードロックだと思われると困る。」ってコメントがあって爆笑。そりゃ、あんたの勝手な思い込みだよ。私にはむしろ「様式美」って点で正統派に聞こえなくもないがね。コード進行は全然無理がないし、楽器の使い方も悪くない。多分…音楽の下地がしっかり出来てる人たちなんだろうなぁ。

PVは絶対狙って作ってるだろ!この辺りも、その昔オジー・オズボーンが生肉をステージで食ったり、果てはコウモリを喰って狂犬病になったと言われる、ある種のメタルの根底に流れる「パフォーマンス」に通じるものがあるんじゃないかと。比較対象は間違ってるかも知れないけどね。

そもそも正統派って何?メタルに限らず、ジャンルって呼ばれてるものの定義ってすごい曖昧だと思うんだけども。メタルの始祖と呼ばれてるバンドは、私の知る限りブラック・サバスだけども、彼らの音楽とメタリカメガデスアンスラックススレイヤージューダス・プリーストセパルトゥラパンテラハロウィンLOUDNESSなどのバンドの音と共通点が見いだせない。むしろ、サバスと比較対象が間違ってるんじゃないかと思うくらい、あまりにも幅広い。

こういう人が「ジャンル」って言葉で音楽を細かく切り刻んで、分かりにくくしていって、結局自分でも分かんなくなっていって、投げ出してダメにしていくんだろうなぁって思う。

以上。

2010年8月15日日曜日

[旅行記録]薩埵峠

ふと東海道のことが気になったので、静岡の難所の一つ、薩埵峠に行ってきました。


大きな地図で見る

いや、車で行くところじゃないね。
引き返そうとも思ったが…。
しばらく進むと、目の前に現れたのは、歴史の教科書で見た浮世絵の風景そのものでした。

薩埵峠展望台より。
あんまりいい画像じゃないね。

昔(江戸時代)はこのように見えました。

ちょっと曇り。
本当なら、この真ん前に富士山が見えます。

「薩埵峠」の碑。
その昔はここを幾多の人が通っていったと思うと、
ちょっとしたロマンに駆られる。

近所には「歌川広重美術館」もあり、まさにここの地が東海道五十三次の1ページであったことを思い知らされるわけです。由比の町並みは古く、それでいて情緒溢れるものです。漁で生計を立てている人が多いせいか、ちらほらと「生しらす」「桜エビ」ののぼりが。

見るべきものが多すぎます。

以上。

2010年8月14日土曜日

経済対策

もう手遅れなのかな?
日本の信用がどんどん墜ちている気がします。

さて、私のよく訪れるサイトに「溜池通信」というサイトがあります。
http://tameike.net/
エコノミストの「かんべえ」さんが、1日に一回程度更新する「Diary」が面白いんです。
ちなみにこのお方、本名は吉崎達彦さんとおっしゃいまして、諸テレビ番組にて経済評論を展開されております。

本日は、その「溜池通信」Diaryに、以下のようなことが書いてありました。

以下引用=============================

<8月13日>(金)

○ちょこっと富山に帰省して、すぐに戻る。なんだかわざわざ台風に会いに行ったような。

○さて、この間にFOMCがあり、米金融緩和を受けて円高(というよりドル安)があり、株価もフラフラという状態。まあ、全部、今週の冒頭時点で予想されていたことではありますが。

「円高を何とかしろ」という声が流れるのは分かりますけれども、今の状況だと何をやってもムダでしょうね。打つ手がない、と見え透いているときの口先介入ほどみっともないものはありません。口先介入が効くのは、「こいつは何をしでかすか分からない、怖いヤツだ」と市場が警戒しているときだけです。今の日本は、首相も財務相も日銀総裁も、そういう怖さがない。だったら、黙っている方がナンボかマシだと思います。

○それでは為替介入はどうか。おそらく日本の単独介入では、「これぞ好機」とばかりにドルを売り浴びせられるのが落ちでしょう。米財務省に「ウチは聞いてないよ」と言われた瞬間に終わってしまいます。少なくともアメリカ政府の内諾を得ておく必要があるけれども、今はそんなパイプはありません。2003~04年の30兆円介入のときは、「小泉=ブッシュ関係」という暗黙の了解があり、政府と日銀と経済界の利害が完全に一致していた。今はそれがバラバラです。ということで、この円高は全身で受け止めるしかないのではないかと思います。

○先日、某所で変な話を聞きました。郵貯の預け入れ限度額を急いで増やさないとエライことになる。今の預金量が170兆円で国債保有量は150兆円。この調子で預金量が減っていくと、郵貯が国債を売らなければいけなくなる。だからその前に限度額引き上げなんですと。――でも、そんなことをするくらいなら、郵貯は遠慮なく国債を売るべきではないだろうか。預金量を増やしたところで、民間資金を塩漬けにするだけだし。

今の日本経済、弥縫策を講じて、どうにかなるような段階は過ぎているような気がします。別にヤケになっているわけではありませんが、猪口才なことを考えても仕方がないのではないかと。麻雀だって、不調なときは耐えて打つしかないではありませんか。

引用以上=============================

私は、このお方の「鋭いけれども、決して雑言にならない語り口」が好きで、ほぼ毎日見ております。

「円高を何とかしろ」という声が流れるのは分かりますけれども、今の状況だと何をやってもムダでしょうね。

確かにその通りかも知れませんが、一国の首相として「姿勢」だけは見せてもいいのではないでしょうか?現に首相はじめ財務大臣、日銀総裁は「今後も注意深く見守る」だけしかできません。そう、何をしていいのか本人たちも分かってないんです。散々過去の政権の経済政策を批判しておいて、我が身に降りかかったら手をこまねいて見ているだけ。注視だけなら私にだって出来ます。

今の日本は、首相も財務相も日銀総裁も、そういう怖さがない。だったら、黙っている方がナンボかマシだと思います。

じゃあ、この人たちは何のために存在しているのでしょう?働きもしない人たちに税金をくれてやる余裕などこれっぽっちもないことは、日本国民全員理解していると思いますが?

今の日本経済、弥縫策を講じて、どうにかなるような段階は過ぎているような気がします。

そう、遅すぎたんです。日本国民も高い代償でしたね。甘言にだまされて民主党へと投票した人たちは、少しばかり「雰囲気」に流されてしまったのではないでしょうか?マスコミの報道の仕方もどうかと思いますが、最近のテレビは正直信用出来るメディアではない気がします。所詮視聴率偏向の番組作りですから。数字が取れれば何やったっていいんです。日本が沈没しようが、国の産業が吹っ飛ぼうが、自分たちがオモシロおかしく暮らして行ければいいんです。麻生さんの「漢字が読めない」「カップラーメンの値段が分からない」「休日はホテルのバーで飲んでる」なんて、分かりやすい話ですよ。人を批判するには小難しい話より、あまりにも下らないことの方がいいんです。分かりやすいから。

「漢字が読めない」
→俺だって読めるぞ→麻生はダメなヤツ

「カップラーメンの値段が分からない」
→なんて庶民を知らないヤツ→麻生はダメなヤツ

「休日はホテルのバーで飲んでる」
→なんていい身分なんだ→麻生はダメなヤツ

「国際会議でほろ酔い加減でカメラ前」
→恥さらしだ(これはチトまずかったかな)→中川はダメなヤツ

簡単なんですよ。人を批判するなんてことは。
この下らないレッテルで、その人物が成してきた有用な仕事まで暗に葬られ、貼られたレッテルだけが一人歩きするんです。

比較してみましょうか。

「経済対策が遅い」
→小難しくて自分にも分からん→まあ、仕方ないか


経済対策なんて民間レベルでどうにかなるような単純な問題ではないから「財務省」という、財政の専門家(財務官僚)を税金で雇っているんです。そのトップに立つのが「財務大臣」、それら大臣を統括するのが「総理大臣」なんです。何も出来ず「注視する」だけの専門家なんて存在価値がありません。早々にお辞めになるべきだ。

「普天間問題はどうした」
→反対派が多いし、沖縄の人にも迷惑だし→まあ、仕方ないか


沖縄の人は基地移設に、確かに反対していますね。しかし、それは「基地移設」そのものよりも「現政権の二枚舌」に反対しているのではないかと思います。はじめは「最低でも県外」と抜かしておきながら、結局は「自民党案の焼き直し」でしょう?それも「3月には完全決定」→「8月には完全決定」…現政権お得意の先送りのオンパレード。それだったらはじめから現行案で良かったんです。それなのに労力も使いお金も使い、アメリカにも気を遣い…。そして信用だけが墜ちていくんです。今の政権の人たちは気づいていないでしょう。沖縄の人たちの「反対」は、普天間移設そのものに反対なのではなく、現政権に対する「No」であることを。大事なのは結果ではなく、そこに至るプロセス。信用も労力もお金も失って、散々引っかき回した挙げ句に「元の案で行きます。現行案だから文句はないでしょ?」なんてことは一番あってはいけないことです。

結局、人を批判するなら、民衆の分かりやすいレッテルを貼ることが一番効果的です。俗に言う「プロパガンダ」の典型的手法ですね。分かりやすい「定型文」を当てはめることによって、無知な民衆を扇動するんです。そうやって下らないレッテル貼りのために有用な人たちが失脚していくんですよ。一部の人間の愚かな野望と利権のためにね。それこそ一番下らないことだ。それに釣られる民衆も民衆である。縁無き衆生は度し難し。

まあ、私がここでいくら吠えたところで、どうにかなる問題ではないんでしょうが。

とにかく、日本は今、緩やかな破滅を迎えつつあるように思います。
現政権が全て悪とは言いませんが、もう少し冷静に日本のことを考えてみて欲しいと思います。そうすれば、民主党だの自民党だの、総裁選がどうだの、参議院議長がどうだの、そんなことはほんの些細な内輪のもめ事…って気がしませんかね?こうしてるうちに、刻一刻とそれこそ「今の日本経済、弥縫策を講じて、どうにかなるような段階は過ぎているような気がします。」なんですよ。

以上。

[旅行記録]蓬莱橋

静岡のど真ん中、大井川に架かる世界最長の木造橋である「蓬莱橋」を見に行きました。


大きな地図で見る

実は…県民のくせに存在すら知らなかったアホウですから。
情報提供下さったMさんありがとう。
早くパソコン復旧するといいですね。

遠くが霞むほど長い橋。
片道約1キロ。

通行には料金がかかります。
この看板、どこかで見たような…?と思ったら、
「このはしわたるべからず」
的な「告」の勝手な思い込みでした。

脳内イメージ。

料金表。
往復で子供10円、大人100円。意外と安い。
だけど、子供には往復2キロのお散歩は厳しいかもね。

そして帰りは至る所でちらほらとお盆の余波が。
おいおい、まだ13日だぜ。

以上。

2010年8月12日木曜日

じょーねつたいりく

とある方に依頼されて編曲しました。
バンドスコアみたいだね。

つかれた。

いじょー。

2010年8月10日火曜日

理系人間のための英語勉強の基礎 第6回

最近英語を教えていてよく思うこと。
ていうか悟ったこと。

驚くほど「品詞」が理解出来ていないということ。

品詞とは、簡単に言えば「単語の役割」で、それぞれに働きがある。
品詞の種類が同じならば、それらは英文中でほぼ共通した位置に存在することができる。
つまり、ある単語を同じ品詞の他の単語に入れ替えれば、日本語の意味もまるっきり「入れ替え」になり得るということである。

(例)動詞を入れ替える場合
I have a pen. (私はペンを持っています
I bought a pen. (私はペンを買いました

(例)副詞を入れ替える場合
I usually go to my office at 7:00. (私はたいてい7時に出勤します)
I always go to my office at 7:00. (私はいつも7時に出勤します)

品詞には、
・動詞→人・動物の行動
・名詞→人や物を表す名前
・形容詞→人や物の修飾
・副詞→動詞・形容詞・副詞の修飾
などがあり、それぞれは独立した存在である。

独立した存在だからこそ「入れ替え」が可能であり、他の品詞では代用出来ないのである。

私は、品詞の扱いは「文法」と同等であると考えている。
すなわち「文型」「品詞」「文法(作文の決まり事)」の3つの柱が「Grammar(英文法)」であり、それぞれは独立した学び方をすべきであると、中学校の時から考えていた。

現在の英語教育は、何故か応用が利かないように作られている。
もっと言えば、この3つの境目が非常に曖昧なのである。

分かりやすく分かりやすく…のつもりが、結果としてまるっきり分かりにくいのである。
いや…体系的でないと言った方が良いだろうか?

その場その場では分かったつもりになるのだが、それらの英文をバラバラにすれば、所詮は品詞(=特定の性格を持った単語)が文型に沿って並んでいるだけであって、文法はその応用である。

なのに、文法と品詞(この「品詞」という言葉には触れもしない)、文型を渾然一体となって教えるから、全てを独立した決まりとして認識してしまい、結局「英語は暗記科目だ」なんて勘違いするのである。

このジレンマを解消するにはどうしたらいいのだろうか?

まずは「最良の解説書を手に入れること」
さすがに1から10まで英語の独学は厳しい。
いわゆる「教科書的」な解説書は、上記理由で不可である。体系的でないから。
辞書的な参考書…というか、英文法3本柱の解説の境界線が曖昧でないものが好ましい。

次に「品詞を知ること」
辞書を引いて、単語の意味だけで満足していないだろうか?
辞書には品詞の説明が必ず載っている。
それをチェックし、同じ品詞は同じ品詞どうし頭の中で関連づけるのである。

最後に「英作文をすること」
並び替えや穴埋め問題なんて英作文が出来れば出来るのである。
並び替えや穴埋めに時間を割くくらいだったら、一つの文章からいろいろな時制、肯定から否定・疑問、助動詞を使ってみたり、いろいろな応用を適用出来る。単一の文章から、ここまで様々な文法を適用出来るということを知るのである。

まあ、偉そうに書いたが、品詞を理解するのはそう難しいことではない。
普段からの意識が大事なだけで。
それだけで英語センスは育っていくものである。
逆に言えば、英語に対して意識を傾けない人は、いくら時間をかけたって無駄なのである。

以上。

2010年8月9日月曜日

平身低頭

何か嗅ぎつけたらしい。
恐らく「ホテイの焼き鳥」だろう。
ねこまっしぐら。


以上。

2010年8月8日日曜日

レスポール復活

今日はギターを直しにお里へ出かけました。
7年前に頭を折って、その時にペグが破損しました。
ずーっとギターを弾く機会もなく、何となく放置していたのですが、
ふと思いつき、修理することにしました。

ギブソン純正のペグは、シルバーパーツで1個2100円、ゴールドで3150円。

私の楽器はゴールドパーツの方なのですが、機能的にはシルバー・ゴールドどちらも変わらないし、何となく色違いで面白いので安い2100円のシルバーの方にしました。

よく見ると、3弦と4弦だけ色が違うんです。
3弦の方は、スクリューだけゴールドのものを使ってます。

ピックガードとピックアップのカヴァーは外してます。
とってもシンプル。

こやつ、一回頭を折ってます。
幸いにも接着面積が広くとれたので、自分で修理しました。
何故かサスティンが長くなりました。
ここ、どうにかしてキレイにしないと。

わたしは、3弦だけこのようにテールピースに引っかけます。
にしても、使い込んである感がにじみ出てるなぁ。
仕方ないとはいえども、もうちょっとどうにかしたい。

たまたま通ったガンダム。
でかい。

近所の踏切を通りかかる私鉄。
レトロなカラーリングがたまらない。
この列車の正体はこちら

以上。

2010年8月7日土曜日

[旅行記録]ながの

上高地にて。
山には雲がかかっていたけども、
とても快適な散歩でした。

善五郎の滝。
滝はいいねぇ。涼しくて。
落差30メートルの大きな滝でした。

雨上がりの松本城。
空を大きく撮ると雄大な感じが出ていいねぇ。
ちなみに、全てケータイカメラで撮りました。
デジイチが欲しい…。

以上。

2010年8月5日木曜日

I'm your Venus...

ながの

ビーナスライン

晴天でした!

以上。

2010年8月3日火曜日

[ニュース]朝鮮高校も授業料無料化


「朝鮮学校」も無償化へ、高校授業料

8月3日14時2分配信 TBS

今年4月にスタートした高校無償化は、公立高校の授業料は徴収せず、私立高校生には世帯に応じて年間およそ12万円から24万円の「就学支援金」を援助する制度です。

政府は制度の開始時点では朝鮮学校を無償化の対象から外し、文部科学省が外部の有識者による非公開の検討委員会を設置して、適用するかどうか慎重に検討してきました。

検討チームは朝鮮学校の視察を行い、会合を重ねた結果、「日本の高校に類する教育課程」にあたると判断。これを受けて、政府も朝鮮学校を原則として無償化の対象とする方針を固め、近く発表します。

対象として認められた朝鮮学校の授業料は、4月にさかのぼって無償化が適用されます。(03日13:08)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20100803/20100803-00000026-jnn-pol.html

--------------------------------------引用以上

全くこの政権は…何一つまともに機能しようとしないな。
我々の税金の行く末が、国交もないテロ支援国家への援助か。

一部で、朝鮮高校への無償化除外は「差別だ」との声が上がっていた。
だが、コレは差別でも何でもなく、国交のない国に対する「区別」である。

「日本の高校に類する教育課程」って…?
そんなはずないじゃないか!

国交もない、カリキュラムも全く違う、正直言って日本国に何ら益をもたらさない、むしろ害でしかない教育を行っている高校なわけだろ。教室に掲げられたキム親子の肖像画が物語っている。

害でないと主張するならカリキュラムを公表した上で、日本国民に信を問え。日本人の税金を吸い取られてたまるか。

そもそも、何で日本にこんなたくさん在日朝鮮人がいるの?
そんなに祖国が好きなら、祖国に帰ればいいじゃない?

いや、もちろん一人の人間として彼らを見れば、いい人もいるし悪い人もいる。それは日本人であろうと同様だろう。

しかし、ここは日本という独立国家なワケだ。
外国に籍を持つ人間が、集団で寄って集って日本国内で変なナショナリズムを展開されると困るわけだよ。

そこは感情論で妥協すべきことではない。

最近、韓国への戦中賠償をするなんて、とんだバカげた話が出ているようだが…。

韓国への戦後賠償はとっくに済んでいる。
これは世界的にも認められていることである。

その賠償金を、当時の韓国政府は個人へと充てず、国内振興に充てた。その結果、今の韓国があるわけだ。

それを今更、個人賠償しろと…当時の韓国政府へと要求するなら分かるが…なぜ、補償もとっくに完全に済んだ日本国が、何故この期に及んで行わなければいけないのか?

最近の日本はおかしすぎる。
何が「政権交代は最高の景気回復策」だ。
何が「政権交代すれば株価は3倍」だ。

株価は10000円を割り込んで久しく、円高は止まらない

製造業の景気は若干回復したと言われているが、それは前政権の「エコカー減税」や「エコ住宅補助」、家電に対する「エコポイント付与」などの各景気刺激策の結果じゃないのか。

現政権になってから、何から何まで逆の方向に進んでいるじゃないか。

現政権の、一刻も早い崩壊を、心から願わずにはいられない。

以上。

[ニュース]小澤征爾さん復活!


小澤征爾さん がん公表後初の指揮 長野で公開リハ参加

8月1日20時45分配信 毎日新聞
小澤征爾さん がん公表後初の指揮 長野で公開リハ参加
拡大写真
がんの治療後、初めて公の場で指揮する小澤征爾さん=長野県山ノ内町の奥志賀高原ホテルで2010年8月1日午後5時28分、小田中大撮影
食道がんの治療に専念していた指揮者の小澤征爾さん(74)が1日、長野県山ノ内町の奥志賀高原で行われたクラシック音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」の公開リハーサルに参加した。がんの公表後、公の場で指揮をするのは初めて。

SKF松本の総監督を務める小澤さんはチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」など2曲を約30分間にわたって指揮。会見では「指揮できるのが夢みたい。今日は第二の人生の1日目」と述べた。また「闘病中は家族がスクラムを組んで支えてくれた。感謝している」と闘病生活を振り返り涙をにじませた。

SKF松本は今月から同県松本市で開かれる。小澤さんは9月の4公演で指揮する予定で、がん公表後の復帰公演となる。

小澤さんは昨年末の人間ドックで初期食道がんの診断を受け、1月に公表。その後、食道の全摘出手術を受け、治療のため公演を中止していた。当面は国内を中心に活動するという。【小田中大】
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100801-00000018-maip-soci
------------------------------引用以上---------------------------

お帰りなさい、小澤先生
ずっと待ってました。
日本の宝ですからね。

ご本人、ずいぶんと痩せられましたが・・・。

サイトウキネンで本格的に復活講演を行う予定とのことですが、ご本人の
「家族が支えてくれたから」
「今日が第2の人生の始まり」
などのお言葉、さすがというか何というか…。
やはり、生命力のある人間からは生命力のある音楽が紡ぎ出されるものだなぁと納得。

是非一度、生で世界のマエストロをお目にかけたい。
サイトウキネン、本拠地は長野だし、行ってみようかな。

小林先生もすごかったけども、世界の第一線で活躍なさっている方々からは学ぶべきことが多すぎる。

以上。

2010年8月2日月曜日

英語版ドラえもん

英語のお勉強。
うちの教え子に読ませたら、どんな反応するだろう?

以上。

2010年8月1日日曜日

X Japan 続き〜そしてドラムとは?

先日の「X Japan」。
いろいろ思うところがあるので、ついでに書いてしまおう。

まず、Yoshiki。
この人はなかなかディープな人で、本も出ているので興味を持たれた方は読んでみるといいと思う。

http://www.amazon.co.jp/X%E2%80%90JAPAN%E4%BC%9D%E8%AA%AC-PROJECT%E3%80%8CX%E3%80%8D/dp/4846301133/ref=sr_1_21?ie=UTF8&s=books&qid=1280587463&sr=1-21

彼は、要するに「ママから寵愛されて育った」人。
欲しいものは全て買ってもらったし、「Extasy Records」というインディーズレーベルも、Yoshikiの母親が出資して設立されたレーベルである。

まあ、それはどうでもいいとして、論点はこの人の演奏に関する力量である。

彼のドラムは一言で言えば「力業」であろう。
打楽器奏者として「脱力をする」というのは基本中の基本。振り下ろしたスティックの振り上げを、打面の跳ね返りを利用するという動作は、脱力を基本にして成り立つ一連の動作である。

しかし、彼はそうではない。

演奏中の映像を見ると、スティックを握り込むようにして持ち、振り下ろし振り上げともに筋肉の動きだけで行っている。

「DAHLIA」演奏シーン。
激しく首を振り、スティックを力任せに振り、故障するYoshiki。


しかも、彼のトレードマークである「アクリル製ドラム」は、一般には木胴に比べて「鳴らない」と言われている。しかも、レコーディングではこのアクリルドラムは使用されず、チタン胴や木胴などが使用されているらしい。

演奏中のYoshiki。
小指までスティックを握りしめ、
力任せに振り下ろす様子がよく分かる。

ここまでで分かること。
Yoshikiは「エンターテイナー」なのであろう。

彼が演奏中に倒れること。
彼がコルセットを巻いた姿で現れること。
わざわざ鳴りにくいアクリルのドラムでライヴを行うこと。

これらは全て「エンターテイナー」としての彼の姿である。
そのおかげでライヴが盛り上がり、「X Japan」というバンドの伝説がさらに高名になっていくことは素晴らしいことであるし、とても真似出来ることではない。

しかし、あまりにもその姿が先行して、打楽器やドラムに対し「ドラム=力業」的なイメージを植え付けてしまったことは、大きな功罪であろう。事実、自分も長年そのように考えていたし、そのせいで間違いなく成長が遅れた…ことは後悔の種である。

スピードだけで言えば、世の中に「速い」ドラマーはたくさんいる。
以下の動画を見ていただきたい。

苦悶の表情を浮かべるでもなく、まるでうちわでも扇ぐかのように超絶スピードでドラムを叩く、ジョージ・コリアス


よく見ると、スティックを全く握り込まず、手首とスティックの跳ね返りをよく生かした叩き方をしているのが分かる。

お次は、みんな大好きジョジョ・メイヤー
速く叩くのに力なんて全く必要としないのがよく分かると思う。


これ、全部生ドラムで演奏してるなんて信じられない。
完全にループを組んでいるようなドラムンベース。
左手のスネア、どうやっているのか全然分からない。


最後にジャズ界のレジェンド、バディ・リッチの超絶シングルストローク。
真似どころか、とてもじゃないが近寄ることすらできない。
演奏に「おちゃめ」さを織り交ぜるところも彼の魅力。


ちなみにこの演奏は1978年。バディ・リッチは1917年生まれで1987年に亡くなっている。齢61歳にしてこの雷のような凄まじいドラミング、信じられますか?

自分もかつてYoshikiが唯一無二な存在である時期があった。
でも、世界に目を向けると、Yoshikiよりもすごい世界があった。

ただ、Yoshikiが下手なんて口が裂けても言えない。
何故なら、音楽とは芸術でもありエンターテイメントでもあるからだ。
彼のスタイルが賛否両論こそあれども、ヴィジュアル系という一つの時代を築いたということは紛れもない事実だし、彼の作る曲にはコード進行的なイヤミがない。これも彼のベースである「クラシック」の成せる技だと思う。そのクラシックの流れに従い、凄みがありながらも音楽に逆らわない、まるで「そうでなくてはならなかった」かの如く流れるようなドラミングは、彼にしかできない一種の「様式美」であり、もはや「X」というジャンルである。

ただ、世界は広い。いろんな人がいるものだなぁ、ということだ。

以上。