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2011年1月31日月曜日

今年の「生誕○○周年」「没後○○周年」

演奏会のプログラムというものは、いろいろな趣向を持って決められている。例えばあるオケでは指揮者の好みによって、はたまたあるオケでは団員の投票や選曲委員会によって。ハイドンの交響曲を1番から最後まで毎年何番かずつ演奏する団体もあるだろう。

そんなオケのプログラム事情で頻繁に見られるものの一つ「誰それの生誕○○周年」とか「没後○○周年」と呼ばれる、俗に言う「誰それイヤー」に沿ったプログラムの組み立てである。2006年の「モーツァルト生誕250周年」は、それはもう大変だった。あちこちのオケが「フィガロの結婚」序曲を演奏するものだから、コントラバス奏者の自分としては、出だしのユニゾンフレーズはヒヤヒヤしたものだった。あれだけは何回演っても慣れないなぁ…。

というわけで、50年を一区切りとして、今年2011年が一体「誰イヤー」なのか?を調べてみた。誰でも知っているような大家から、誰も知らないような本当にマニアックな作曲家まで入り交じっているので、代表作を調べるのなんかはとっても大変だった。生年または没年が曖昧な作曲家は除外してある。ちなみに、作曲家の名前に付いているリンクはWikipediaへ、(IMSLP)と書いてあるリンクはPetrucciMusicLibrary(IMSLP)に作曲家該当ページへのリンクである。しかし、必ずしも代表曲が掲載されているとは限らない。


<中世・ルネサンス>
・フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361:没後650周年)
代表作:不明

シモン・ロエ(1550前-1611:没後400周年)
代表作:不明

トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア(1548-1611:没後400周年)
代表作:死者のためのレクイエム(IMSLP)

ジョゼッフォ・グアーミ(1540-1611:没後400周年)
代表作:不明(IMSLP)


 <バロック>
ヤコポ・ペーリ(1561-1633:生誕450周年)
代表作:世界最古のオペラ「ダフネ」(IMSLP)

アダム・シュタイグレーダー(1561-1633:生誕450周年)
代表曲:不明

・パブロ・ブルーナ(1611-1679:生誕400周年)
代表作:不明(IMSLP)

ルイ・クープラン(1626?-1661:没後350周年)
いわゆる「クープラン」の叔父に当たる
代表曲:不明(IMSLP)

ゲオルグ・ベーム(1661-1733:生誕350周年)
代表曲:オルガン曲、チェンバロ曲など(IMSLP)

アンリ・デマレ(1661-1741:生誕350周年)
代表曲:宗教音楽など(IMSLP)

ジャコモ・アントニオ・ペルティ(1661-1756:生誕350周年)
代表曲:宗教曲、歌劇多数

ジャン=ジョセフ・ド・モンドンヴィル(1711-1772:生誕300周年)
代表作:器楽曲数曲、オペラ数曲、教会音楽など(IMSLP)

ウィリアム・ボイス(1711-1779:生誕300周年)
代表作:交響曲、劇音楽ほか(IMSLP)


<古典>
・イグナーツ・ホルツバウアー(1711-1783:生誕300周年)
代表作:不明(IMSLP)


<ロマン>
フェディナント・ヒラー(1811-1885:生誕200周年)
代表曲:オペラ、オラトリオ、カンタータなど(IMSLP)

フランツ・リスト(1811-1886:生誕200周年)
代表曲:多すぎて書ききれない(IMSLP)

アンブロワーズ・トマ(1811-1896:生誕200周年)
代表曲:オペラ「ミニョン」「ハムレット」(IMSLP)

アントン・アレンスキー(1861-1906:生誕150周年)
代表曲:2つの交響曲、ピアノ曲、協奏曲など(IMSLP)

ルードヴィヒ・トゥイレ(1861-1907:生誕150周年)
代表曲:ピアノと管弦楽のための6重奏曲(IMSLP)

・チャールズ・A・ツィンマーマン(1861-1916:生誕150周年)
代表曲:不明(IMSLP)
 
ヨハン・スヴェンゼン(1840-1911:没後100周年)
代表曲:交響曲第1番、第2番(IMSLP)

グスタフ・マーラー(1860-1911:没後100周年)
代表曲:10の交響曲、歌曲ほか多数(IMSLP)

ミカロユス・チュルリョーニス(1875-1911:没後100周年)
代表曲:ピアノ曲ほか、画家として有名(IMSLP)


<近代>
ジャン・アラン(1911-1940:生誕100周年)
代表曲:オルガン曲「連梼」(IMSLP)

バーナード・ハーマン(1911-1975:生誕100周年)
代表曲:ヒッチコック映画音楽、映画「タクシードライバー」

ニーノ・ロータ(1911-1979:生誕100周年)

・アラン・ペッタション(1911-1980:生誕100周年)
代表曲:17の交響曲、管弦楽曲、室内楽など

アラン・ホヴァネス(1911-2000:生誕100周年)
代表曲:67にものぼる交響曲


他にも生誕50周年、没後50年とかあったけども、こういうのはやっぱり100年以上経たないと…と思ってやめちゃった。

やっぱり今年のハイライトはリストとマーラーかなあ。どっちも指揮者にとっては頭が痛い作曲家だなぁ。世界中でリストのハンガリー狂詩曲やピアノ協奏曲、マーラーの交響曲1,2,5,6番が演奏されることだろうね。マーラーの8番は…さすがに機会は多く恵まれないだろうけども、お金のある団体が本当に1000人集めて演奏しそうだな。

個人的にはスヴェンゼンを強く推したいところ。いわゆる「北欧組」の作曲家で、一度だけこの人の2番を演奏したけれども…素晴らしい曲だった。機会はそうそう廻ってくるものではないが、もう一度演奏してみたい曲の一つ。

それにしても、ヤコポ・ペーリの「(知られているうちで)世界最古のオペラ」はすごい。もしこれが本当だとしたら、今年はオペラ元年、そしてオペラ450周年…なんてことになるのかな?

ああ、疲れた。以上。

2011年1月30日日曜日

デジタル一眼レフ

私は「プラズマ工学」というものを研究していたわけだが、その研究の特性上「光学」という分野も勉強する必要があった。光学というのは、読んで字の如く「光を取り扱う学問」である。つまり、どこかから飛んできた光が、ある光学機器を通過し、どのように集光機器へと入射するか?を机上で論ずるわけである。

というわけで、こと「レンズ」というものがどういう特性を持つか?ということは、それこそイヤになるほど考えさせられたのである。

写真用レンズにおいて、レンズの大きさというパラメータは非常に重要で、同じ画素数のカメラであっても、レンズの大きさ、また感光素子までの距離、というものが撮影結果に及ぼす影響は大きい。

レンズが大きければ大きいほど、多くの光を集められる。多くの光を集めることが出来れば、その分シャッタースピードを速くできる。シャッタースピードが速くなれば、その分被写体の詳細を撮影することが出来る。

また、レンズから感光素子までの距離が長ければ長いほど、レンズの曲面をナローにすることが出来る。レンズの曲面がきつければキツイほど光の屈折度合いもキツくなるため、被写体の「距離感」が表現しづらい。レンズの曲面がナローであれば、被写体の距離感を鮮明に出すことが出来る。

というわけで、今日デジタル一眼レフを買ってきたので、早速3つのカメラの比較を行ってみようと思う。

まず一つ目。ケータイのカメラ。レンズの特性は不明だが、感光素子(CMOS)までの距離は10mmも無い。


全体的にのっぺりした印象で、色が滲んで詳細が上手く写っていない。背景との距離感が上手く表現できていない。拡大表示すると、細部がぼやけて見えてしまう…など、いろいろな点が「所詮ケータイだな」と思えてしまう。むりやり感度を上げているのか?拡大するとざらざらした写り方をしている。

次はコンパクトデジタルカメラ通称「コンデジ」。FujiのFinePixA345というモデルで、有効画素数は4.1万画素、レンズはf=5.8mm〜17.4mm(35mmフィルム換算:35mm〜105mm相当)、解放F値は2.8〜4.7である。


ケータイカメラに比べれば、幾分か距離感が出ている。しかし、コントラストのメリハリが無く、明るい部分と暗い部分の境界が曖昧である。ただ、これは撮影のウデの問題でもあるのかな?どちらにしろレンズが小さい分、色収差も大きくなって全体的にメリハリがない印象。

最後は今回新たに導入した「Canon EOS kiss Digital」。レンズはf=18mm〜55mm、解放F値は3.5〜5.6である。


ここまで違うと、もはやコンパクトなカメラは使えない…。正直、ここまで違うとは思わなかった。いろいろなレンズで試してみたいね。

3つ並べるとこんな感じ。


結論。「ポータビリティ」と「画質」はトレードオフである。利便性を取るか、実用性を取るか、それは目的に合わせて選択する余地があると言うこと。

レンズの勉強をしなければ。

以上。

2011年1月29日土曜日

スコアって

今日は英語5時間で疲れた…。

目の前にネコがいるので、今日は「スコアってどのように使うの?(=譜読みの方法)」について考えてみようと思う。

音楽をやる上でどうしても切り離せない概念、それは「自分のポジション」であるように思える。言い換えれば「アンサンブルをどのように組み立てていくか?」ということを、自分の頭で考えることであろう。ご存じの通り、ソロ(独奏)を除く全ての音楽に「アンサンブル」という概念が存在する。つまり、他の誰かと演奏を行う際に、自分の立場をよく考えなければならない、ということである。

厄介なことに、その「立場」というものは一定ではない。曲の最中にその役割は、それこそ今自分の目の前にいるネコの目のようにめまぐるしく変化する。もちろん、その役割が一定な場合も存在するのであろうが、極めて少数であろう。そして、その役割の変化は、アンサンブルに参加する人数が増えれば増えるほど、より複雑になる傾向にある。

例えば、弦楽4重奏というジャンル。よく言われることに「この演奏形態には、アンサンブルの要素が全て詰まっている」。手放しに賛成は出来ないが、言い得て妙であると思う。人数が少なくなれば少なくなるほど、各個人の役割がより明確になるから、弦楽に限らず、どんな楽器のアンサンブルでも、まずは少人数で「自分の役割に責任を持つ」という作業に慣れることが肝心であろう。

では、具体的にどのようにして自分の役割を認識すればいいのであろうか?

まず始めにすべきことは「自分以外の楽器は、どのような音を出しているのか?」ということを調べることである。自分以外の音を知れば、相対的に自分の役割が分かる。そのためには「総譜(スコア)」が必要になる。

弦楽4重奏を例に取ろう。自分がヴァイオリン1番であったならば、担当すべきは主に旋律であろう。ただし、いつもそうであるとは限らない。2番ヴァイオリンと組んで、刻みを担当する中でヴィオラが旋律を演奏することだってあるだろう。その場合、同じような動きをしているのは2番ヴァイオリンである。無論、旋律であるならば、スコアの中では他のパートと連携して…ではなく、旋律的な動きをしているであろう。それが主旋律であるなら問題ないが、オブリガード(対旋律)である場合、少々厄介かも知れない。その辺は、またいずれ説明する。

自分の役割が明確になったら、次にすべきことは「音量、音程の取り方」を考えることである。もちろん、スコアを傍らに置きながら考えていくことである。

ピアノという楽器は、現代においては主に「平均律」と呼ばれる調律がされている。ピアノは200本にも及ぶピアノ線が張られており、それらの張力を調整することによって音程を決定する。つまり、演奏の最中に、根本的な音程の微調整をすることが出来ないのである。ここで「根本的に」という言葉を使ったのは、鍵盤を叩く強さを変えることによって、若干ではあるが音程の上下が可能である。優れたピアニストというのは、この打鍵の強弱によって音量の大小のみならず音程の高低もコントロールするのである。

一方、管弦楽に用いられる楽器の多くは、演奏の最中に音程の微調整が可能である。弦楽器であるならば、押弦の位置を若干ずらすことによって、木管楽器であるならばブレスのコントロールまたは変え指によって、金管楽器であるならば、やはりブレスコントロールによって、音程の微調整が可能である。

実は、ピアノに用いられる「平均律」と呼ばれる調律法は、言わば「妥協の産物」である。和音を美しく響かせるには、その音の波の調和が最も大事な要素である。細かい話は割愛するが、ピアノで妥協していたようなことが、音程を微調整できる管弦楽器においては容易に実現出来るのである。

ハ長調。
上昇音型のとき、7番目の「H」が導音である。

 イ短調。
この「Fis」と「Gis」が「A」に向かう導音であるから、
この2つの音を平均律より若干高めに取ることによって、
旋律に緊張感を与える。

この概念は、旋律、和音両方において重要である。つまり、自分が旋律を担当しているのなら、例えば上昇音型の最後の音(1度への導音)は若干高めに取ることによって、その音に若干の緊張感を持たせ、そして1度へと達したとき、その緊張感が解放される(和声楽においては「解決」という)ような印象を与えるのである。さらに「旋律中の臨時記号」は、♯ならば若干高く、♭ならば若干低く音程を取れば、より旋律的な印象を与えるはずである。また、自分が和音の一要素であるのならば、その和音が最も豊かに響くように、自分の音程を微調整する。例えば1-3-5の長3和音であるならば真ん中の音(長3度の音)を若干低く、1-3-5の短3和音であるならば、逆に真ん中の音(短3度)を若干高く音程を取る。1-3-5-短7で構成される7の和音であれば、1-3-5のルールに加えて、短7の「不協和音」を、上手く調和するように「かなり低めに」音程を取る必要がある。

ハ長調の1の和音(一番左)とハ短調の1の和音(左から2番目)。
いずれも3の音(EまたはEs)を若干変化させることにより、
平均律よりも豊かな響きを得ることが出来る。

7の和音。
短7度を混ぜる和音では、短7度をかなり低めに取ることにより、
1-3-5にうまく調和させることが出来る。

音量に関しては、音程ほど抽象的ではない。考慮するべきことは、自分の楽器の特性(どのような音色か?他の楽器と比較してどれくらい音量が出るのか?音程と音量の関係は?)である。それをよく熟知した上で、アンサンブルの中での音量を決定する。もちろん、要求される音量は刻一刻と変化するから、曲の場面をよく理解すべきことは言うまでもない。

音量の決定において、一つ大事なことがある。それは、他の楽器と全く同じ音、または同じような動きを演奏している場合である。弦楽4重奏を例に取ると、1番ヴァイオリンが旋律を演奏していて、2番ヴァイオリンとヴィオラで刻んでいるとする。もちろん、その場面の主役は1番ヴァイオリンであるから、2番ヴァイオリンとヴィオラは1番ヴァイオリンの邪魔にならないような音量を心がける必要がある。では、2番とヴィオラが、それぞれ通常の8割掛けくらいで演奏すればいいのであろうか?答えは「No」であろう。なぜなら、旋律1つ(1番)に対し、伴奏は2つ(2番&ヴィオラ)である。人間の耳の特性(カクテルパーティー効果)や、波の干渉など、単純な足し算(0.8+0.8=1.6)で言い切れるものではないのだが、自分ひとりのことだけではなく、自分側の音が2つあることを考慮し、それに応じた音量のコントロールが求められるであろう。

このように音程、音量の微調整というのは「知らなければ出来ない」ことであり、楽器の巧拙とは若干趣を異にする。つまり、ソロでどんなに素晴らしい演奏が出来たとしても、アンサンブルにおいてこの部分が考慮されていなければ、全くもって意味がないばかりか、邪魔をしていることにさえ成りかねない…と言えるだろう。旋律はもとより、和音のパーツであれば、他人(他の音)との「直接の関わり」を持つと言うことであるのだから、自分の役割を明確に自覚し、それを音程や音量という物理現象(=出音)として実現することは、アンサンブルにおいては非常に重要なことである。

アンサンブルを研究する上でスコアで読み取るべきことは、慣れないうちは上に挙げた2つ(自分の役割、音量と音程)だけで十分であると思う。もちろん、慣れてきたら他のいろいろなことが読み取れるようになるだろうし、読み取る必要も出てくるだろう。しかしながら、いっぺんにいろいろと手を伸ばしすぎると、人間というものは思考的に破綻してしまう。初めのうちは「考えなければ手に負えない」ことを、少しずつ「慣れ」て消化していき、自分の「センス」として取り込んでいく。やがて、以前は「考えなければ手に負えない」ことでも、無意識のうちに実現出来るようになるだろう。一つ出来るようになったら、もう一段高いレベルのことに一つずつ挑戦していけばいい。某走り屋マンガで某とうふ屋のオヤジも言っていたが、楽器を演奏することは自転車や車の運転と同じである。音楽は頭で考えることももちろん大事だが、経験(=センス)に裏打ちされた熟練の技術も大事であるのだから。

言いたいことは山ほどあるのだが、キリが無くなるので以上。なお、ここに掲載した諸処の説明、解説は、私個人の浅はかな経験に基づくものであり、これが必ずしもどんな場合でも最良の方法である、ということを言いたいのではない。ただ「自分なりに音楽というものを解釈して、それを実戦してみることが如何に大事か?」ということをネット上のごく一部をお借りして力説しているに過ぎない。ここを読まれた方々も、私の戯れ言を鵜呑みにするのではなく、自分なりに音楽というものと向き合い、自分なりの結論を出して頂ければ幸いである。

以上。

2011年1月28日金曜日

粗相

絶対寝づらいと思うんだけど。

猫の心、人知らず。

以上。

2011年1月27日木曜日

MacBook vs Regza その2

先日の続き。

結論から言えば、MacOSX10.5(Leopard)でMediaTombを動かすことに成功。ただ、未だRegza側からMacを認識させるには至っていない。

というのも、我が家のネットワークは、2階に全てが集約されていて、1階のテレビまでLANケーブルを延ばすことが出来ない。…いや、延ばせるといえば延ばせるが、非常に面倒であるので、そのうち無線LAN化しようと画策している。

今回はクロスケーブルで直接接続しようと思ったが、肝心のクロスケーブルが意外と高かったので、今回は見送ることにした。

その代わり「イーサネット→無線LANコンバータ」なるものを導入しようと思う。通常の有線LANを無線LANに変換する装置だ。これを導入した後、諸々を試してみようと思う。

以上。

2011年1月26日水曜日

Regza vs MacBook その1

我が家には「Regza」というテレビがある。11月に導入されたばっかりで、エコポイント通称「エゴポイント」ゲットにギリギリ間に合ったという、かなり新しいモデルである。

このテレビ、何ができるかというと・・・あまりにも多すぎて書ききれないほどである。我が家に生息している人間は基本的に旧態然としたアナログ人間ばかりのため、この「書ききれないほどの」機能をフル活用できるか?と問われれば、それは大いに疑問である。

例えば、このRegzaには「レグザリンク」と呼ばれる機能がある。これは、テレビに接続された機器を、家庭内ネットワークなどの物理的接続によって制御する機能で、例えばDVDやBD、HDDプレーヤーやレコーダーをテレビ側で一括して制御することができるという機能だ。

ところで、DLNAと呼ばれる決まり事がある。これは、家庭内電気機器を相互に接続し、いろいろな便利な機能を実現させるために提案された諸処の規格のことであるらしい。正確には「団体名」であるのだが、こと現在においては規格の名称として使われることが多そうだ。

このDLNAに対応した機器間で相互制御を行うこと・・・このことを東芝製品では「レグザリンク」と呼んでいるらしい。正確には違うかもしれないが、調べるうちにこういった結論に至った。

DLNAに対応した機器の間では、データを送信する「サーバ」、データを受信する「クライアント」の2つの立場が存在する。テレビが映像データを受信し映し出すならばテレビが「クライアント」、その映像データをテレビに送信しているのが「サーバ」である、ということだ。

この「サーバ」を、パソコン上のソフトウェアで実現できるソフトがいくつか存在する。自分はマック使いなので選択肢は限られてくるが、ネットで探しているうちにいくつかのフリーソフトを発見した。その道の人には有名らしいが、私のようなビギナーには専門用語が多すぎて発見に手間取ったが、その中の一つ「MediaTomb」を試してみようと思う。

このMediaTomb、実はMacのソフトではなくLinuxのソフトである。しかしながら、現在のMacOSはLinuxそのものであるので、「ある一手間」を加えてやれば、Mac上でも動作するらしい。

その一手間とは「Fink」という「Linuxの資産をMacでも生かそう」というプロジェクトに登録されているパッケージを利用し、自前で実行ファイルを作る(makeする)のである。まずは、この「Fink」の概念を理解しなければならない。

Finkは、Macのターミナル(コマンドを打ち込んで目的の動作を実行する、昔ながらのコンピュータの使い方)上で動作し、あらかじめネット上のFinkのサイトに登録されているパッケージを読み込んでインストールする・・・という、何やら複雑なシステムになっているらしい。なので、パッケージのファイルをブラウザでダウンロードして、それをターミナル上でmakeする、というLinuxの実行ファイルの作り方とは異なり、ターミナル上で

fink install 〜〜〜

のようなコマンドを打ち込めば、目的のパッケージをターミナルからダウンロードし、自動的にmakeしてくれる、という仕組みだ。詳しくは、

マイコミジャーナル「MacOSハッキング!50〜進化する小鳥「Fink」その2」
http://journal.mycom.co.jp/column/osx/050/index.html

を参考に。ちなみに、FinkはSnowLeopardでは動かない。動かす方法もあるらしいが、今回は割愛する。

さて、このFinkを使って、実際にMediaTombをmakeするのだが、いくつか手順が存在する。詳しい順番は以下の通りである。

1:Xcodeをインストールする
2:Finkをインストールする
3:Finkの設定ファイルを書き換える
4:Finkのアップデートをする
5:パッケージリストを更新する
6:makeする


1:Xcodeをインストールする
Xcodeとは、MacOSに標準で添付される総合開発環境で、実行ファイルを作るためのいろいろなファイルが含まれている。これがないことにはMac上の実行ファイルを作ることができない。すなわちmakeができない。まずはOSのディスクから、Xcodeをインストールする必要がある。

2:Finkをインストールする
Finkはネット上で誰でもダウンロードでき、インストールすることができる。以下のサイトから。

3:Finkの設定ファイルを書き換える
さて、Finkのインストールが終わったら、インストールされたハードディスクの一番上に「sw」というフォルダができていることだろう。このフォルダの中「etc」に存在する「fink.conf」を編集する。この作業は、発展途上のパッケージをリスティングするのに必要な作業で、この作業を行わないと、Fink上からMediaTombのパッケージを発見できないのである。

編集には、ターミナル上でviエディタを用いる方法、またはファイルの所有権を変更してテキストエディタで編集する方法の2種類がある。私は前者で行った。ターミナル上で、

sudo vi /sw/etc/fink.conf

と入力する。するとパスワードの入力が求められるので、パスワードを入力する。ちなみにこの「sudo」というコマンドは「スーパーユーザーで以降の作業を行う」というコマンドで、普段取り扱うことのできないファイルを書き換えたり、システムの中枢に関わる重要なコマンドを実行するときに使う、とても重要なコマンドである。

viエディタは慣れないと難しいので、ここで使い方の説明はしない。Googleで検索すればヒットするので、調べてみよう。

ファイルが開けたら、その4行目「Trees」を以下のように編集し、上書き保存する。

Trees: local/main stable/main stable/crypto local/bootstrap unstable/main unstable/crypto

これで、発展途上のパッケージをFinkのサイト上から見つけることのできる準備ができた。

4:Finkのアップデートをする
ターミナル上で、以下のように入力する。

sudo fink selfupdate

ずらずらとメッセージが表示され、少したったら一時停止し、いくつかの選択肢を入力する画面になる。そこでは「1」を入力する。

とりあえず。今日はここまで。

5:パッケージリストを更新する
6:makeする

については、また後日。

以上。

2011年1月25日火曜日

進化

二足歩行をするねこに進化しました。

ただし、目の前に「好物」が出現したときのみ進化します。

以上。

2011年1月23日日曜日

なみちゃん1号ベータ版バージョン4

需要はないでしょうが、1週間で消します。
デモ版「なみちゃん1号」です。

https://sites.google.com/site/mazda9708/soft/nami4.zip

ClamXav20110123パターンファイルにてウィルスチェック済み。

必ず、解凍した内部の「README.TXT」をご覧下さい。

なお動作に関する対応は、期間は1週間以内、私のリアルでの知り合い、先日お問い合わせを頂いた「朝香さん」を除く先着3名様までとさせて下さい。

以上。

20110421追記
公開は終了しました。
ダウンロードはできません。
以上。

アンダーグラウンド

塾長のお誘いで「競輪」に行ってきます。

公営ギャンブルというジャンルらしい。私は残念ながらギャンブルというものにほとんど縁のない人間であるから、競輪はおろか、競馬競艇…全然分からんのです。

まあ、社会勉強ですな。楽しむというより「こんな世界もあるのだな」くらいで行ってこようと思っている次第で。

では、今日は早く寝よう。

以上。

2011年1月22日土曜日

工藤系

☆工藤系
1972年に日産の工藤新一によって開発された自動車トランスアクセル系統の総称である。開発者の姓と自動車の「駆動」をもじって、自動車機械工学者の間では「工藤系」と呼ばれている。工藤氏はこの他自動車のオートメーション化に多大な貢献をしており、自動車人工知能、とりわけ発声系統に多くの研究成果を残している。彼の開発した発声装置、特に小型変声装置はポータビリティに優れた蝶ネクタイに内蔵された製品が特に有名で、彼自身は麻酔針で眠らせた毛利小五郎氏…通称「眠りの小五郎」を影で操る首謀者として、警察関係各位の間で噂されている。

…わけねーだろッ!

以上、エントリ中の誤字を指摘されたので思い付いたフィクション。

以上。

2011年1月21日金曜日

優先順位

テレビで「優先順位」について放送されていた。

要するに「同じ仕事をやっているのだけれども、その順番が優先すべき順番に為されていないがために、結局残念な結果になってしまう」という内容だった。

音楽についても全く同じことが言えると思う。

「音楽を演奏する」ということにおいて、譜読みという作業は大事なことだ。初心者なら尚更のこと。ある程度の経験があって、適切なセンスの積み重ねが出来ているのならばまだしも、楽譜を入手して、いきなり楽器を手にして曲練習、合奏に参加するというのは考え物だ。伴奏メインなら特にその必要性を考えて欲しい。

音楽というモノは主に
・旋律
・和音
・リズム
で構成されている。その3つの中で一つの楽曲を支配しているもの、それは間違いなく「和音」と「リズム」である。断じて「旋律」ではない。

何故か?和音の切れ目はリズムによって支配される。逆に言えば、和音の切れ目が「リズムそのもの」である。そして、和音というものは、旋律に用いることの出来るスケール(音階)を限定する。和音によって、使える音(和音の構成音に付随する音、またはその導音など)が限られているのであるから、このことは必然的と言える。

「アドリブ」というものはめちゃくちゃに演奏することではなく、ある一定の「コード進行」に沿って演奏しなければならないことは常識であるが、では「逆のパターン」はどうか?単一の旋律には、ただ一つの和音しか対応できないのか?

答えは「No」である。一つの旋律には複数の和音の組み合わせが考えられる。

和音の基本は「1度」「5度」「4度」であるが、それに他の度数、テンションノート(9度、11度、13度、フラット5)を組み合わせることも出来る。そして、そのようなコード進行を如何に組み立てていくか?が「センス」と直結するのである。

「良いコード進行=センス」には「幅広く音楽を聴いている」裏付けが必然とされるだろう。

音楽は、上に挙げた3つの要素が複雑に混じり合って構成されている。ただ、どうしても旋律に耳が行きがちであるが、残りの2つも旋律と同じくらい、場合によっては旋律以上に音楽を支配しているわけである。単純に「優先順位」を決定づけず、その本質を客観的に眺めることが肝心なのではないだろうか?

そして、その重要性を認識した上で「自分の役割は何か?」ということを深く考え、譜読みをする。一見遠回りであるような気がするが、幅広い音楽の「汎用性」を追求するならば、このような段階を経るべきであると思う。「譜読みのない曲練習」は、曲を使い捨てにしていることに他ならないのである。

意見のあるお方、どうぞお聞かせ願いたい。

以上。

2011年1月20日木曜日

職場で使うやつ

さんざんデザインで悩んでおきながら、結局タイポグラフィに頼ってしまうあたり、自分もまだまだだなって自己嫌悪を禁じ得ない。

白地にルビ振りってずるいよね。手抜きもいいところ。ただ、学習塾のポップで冒険はできまい。致し方無し。

いざとなったら森澤さんがいらっしゃる。だけど、字面としてはフォントワークスの方が好きなのよね。

まあ、臨機応変ということで。

以上。

ひとりバンド

バンドを結成しました。

ドラム:プラズマさん
ベース:プラズマさん
ギター:プラズマさん
キーボード:プラズマさん

ヴォーカル募集中です。場合によっては、これも自分でやるしかないのかな…。

んで、1人で演奏できる曲を見繕っているのですが、インスト系の曲は各パートのテクニックが要求されるのでなかなか難しい。今までクリムゾンやクリエイション(Spinning Toe Hold)など録ってきたのだが、これ以上の所謂「フュージョン」となると、一定以上のレベルが求められるのでややこしい。スタジオの時間の都合上、全て「一発録り」をしなければいけないので、練習時間を考えるとフュージョンはツライ。

となると、やはり歌モノか…。

ふと思い出した。「ドアーズ」ってバンドの「Light My Fire」。今から40年以上前のバンドの曲で、ベースがいないという珍しいバンドの名曲。その代わり、ローズピアノのベースラインとオルガンの印象的なイントロ、ソロが特徴。

そして、ヴォーカルのジム・モリソン。破廉恥なステージングで世間に衝撃を与えた…という話だけが一人歩きをしているが、その難解で詩的な歌詞がUCLAの演劇科卒という彼の演劇・文学畑を象徴している。それにしても猥褻な歌い方だ。

「Light My Fire(ハートに火を付けて)」


こんなの歌う自信ないなぁ…。

フュージョンだったら初期スクエアなら何とかなるか?

「Truth」


これくらいだったら、少しギターとシンセを練習すれば…。まずはスコアを買ってこようかしら。

以上。

2011年1月19日水曜日

中毒

これは立派な中毒だよなぁ。

以上。

2011年1月18日火曜日

Rally Japan 2006

そのむかし、帯広という街にラリーを見に行きました。

今は残念ながら国内メーカーはWRCから撤退してしまい、以前ほどの盛り上がりは見せていませんが、スバルや三菱がWRCで火花を散らしていた時代は、それはもうすごいことでした。

2006年は、そのスバルのエースドライバー、ペター・ソルベルグが活躍していた時代で、日本でのWRC初開催・初優勝を飾った翌年だけあって、帯広はとんでもないことになっておりました。

フロントフェイスが一新したばっかりのインプレッサ。

これは何だろう?日本のメーカではなかったような。

プライベーターのランサーですな。

これも何だったっけな?
スズキっぽいと言えばスズキっぽいけども。

ラリー車の「カッコよく作らない。何故なら、必要性のないものまでカッコよく作る必要がないから」というところがカッコイイ。機能美、というヤツですな。昔のランサーなんて、まさにその典型。何てスパルタンな車なんだろう、って思ったものだ。

残念ながら、現在のメーカーはWRCから撤退してしまった。ハイブリッドやEVでラリーを!という声もありそうだが、ハイブリッドやEVは、エンジン→ミッション→工藤系統、という内燃機関よりもよっぽど複雑な仕組みで出来ているから、現在のWRCのレギュレーションでは難しいだろうな。未来に期待するしかないか。

以上。

2011年1月16日日曜日

エースと4番の争い

コンビニに入る。

真っ先に「チョコバット」を探す。

見当たらない。

代わりに見つけた。

その名も「エースバット」。

中身は全く一緒。ただし、パッケージがやや異なる。

当たり付きも一緒。ただし、チョコバットが「ホームラン1枚またはヒット4枚でもう一本」なのに対し、エースバットは「エース1枚またはストライク3枚でオリジナルノートのプレゼント」という点で異なる。

一瞬「バッタもんか?」と思ったが、よくよく調べてみると、どうやら製造元は同じで、プレゼント内容とパッケージを変えてあるだけらしい。

チョコバットとエースバットを箱買いして試合をしたら楽しいだろうな。

一本30円で、一箱60本入りだから、一箱1800円。アホちゃうか…。

以上。

内容量

そりゃ晩酌もマンネリ化するわ。

と思って買ってきたおつまみパック。

ずいぶん安いな、と思ったら、パッケージの表面だけに「さきいか」やら「のしいか」やら並べて、裏面は「ピーナッツ」ばっかり!

さらに、その「さきいか」。「自然の恵」と言う割には、ずいぶんケチな内容量。10グラムも入ってないぞ。

二度と騙されまい。

以上。

2011年1月14日金曜日

理系人間のための英語勉強の基礎 第10回

今回は「長い名詞句」について。

英語長文では、しばしば以下のような「長い主語」「長い目的語」が出てくる。

The woman with long hair whom I've known since 1989 named her baby who was born last week "Bob" which is the name she had ever loved.

(私が1989年から知り合いである髪の長い女性は、先週生まれた自分の赤ちゃんに、かつて好きだった”ボブ”という名前を付けた)

この文章の場合、

主語 :The woman with long hair whom I've known since 1989
動詞 :named
目的語:her baby who was born last week
補語 :"Bob" which is the name she had ever loved

の第5文型(SVOC)である。

率直に言って、こういう文章の「主語が何か」「目的語が何か」ならびに「補語が何か」ということを見分けるのは、相当の練習量が必要である。ただし、その練習とは「長文を読む」という練習ではないことを断言したい。

では、どういう練習が必要なのか?

それは「英作文」であると思う。自分で上記のような「長い主語」や「長い目的語」を含む文章を作ってみることである。もちろん、それ以前に基本的な文法(関係代名詞、現在分詞・過去分詞など)は必須であるが。

自分で英作文してみれば、書き手の気持ちが分かる。どういう文法上の決まりを使って、どういう文章を作るべきなのか、自分の頭で考えることによって、他人の文章も「ああ、こういうことを言いたいんだな」ということが理解できるようになる、そう思う。

長文が苦手、というお方。読む練習ばかりではなく、自分で英文を作ってみるという練習をしてはいかがだろうか?

具体的には、例えば長文問題集の「答え」に付記されている「日本語全訳」を、一旦自分で英語に再翻訳する。その自分で作った英文と、もとの問題文(英語)を見比べてみるのである。そして、自分の理解の及ばなかった言い回し、表現を少しずつ自分のものにしていく。単語は言うに及ばず、文法の練習にもなるし、何一つ悪いことがない。時間はかかるけれども。

かつて、自分もこういう練習をしたものだ。未だ完全な英文を作れるワケではないが、日々の努力によって、少しずつでも完全に近づきたいと思っている。

英作文や長文が苦手な皆様、だまされたと思ってやってみたらいかがだろう?

以上。

2011年1月13日木曜日

英作文と長文

長文と英作文の関係について。

最近よく考えてしまうことなので、せっかくだから深く探ってみよう。

長くなるから後ほど。

以上。

2011年1月12日水曜日

今日の富士山

某所にて。

最近寒かったから、適度な雪具合。

きれいだなぁ。

以上。

電子書籍について考える

さっきのニュースで「電子書籍」についてやっていた。最近よく聞くこのワード。昔から日本人は「電子○○」という言葉が好きだ。アナログ媒体と同じ機能が機械で実現されると、よくこの言葉を引っ張り出してくる。「電子マネー」とか、その最たる例だと思う。ただ、電子って「Electron(電気的な性質を持った粒子)」のことだよね。「電子○○」よりも「ソフトウェア○○」の方がいいと思うんだけど。

まあ、前置きはここまでにして、電子書籍というものが今後、どのような期待を向けられて発展していくメディアか、ということを考えてみようと思う。

例えば、以下の本を見て欲しい。


これは「MIT Wavelength Tables」という、分光測定を生業とする人々にとってバイブルとも呼べる専門書である。かつて自分が在籍していた研究室では、この本を長らく読むことは出来なかった。何故か?それは絶版だったからである。

他にも、2原子分子の発光分光スペクトルを測定する際に「必要」とされる、こんな書籍も絶版という理由で読むことが出来なかった。


現在は幸いにして、両方とも英語版で再版され、Amazonでも購入することが出来る。しかし、かつて存在したとされる日本語版は未だ再版されていない。同じような理由で「読みたいけれども読むことが出来ない専門書」というものは数多く存在するに違いない。

私が電子書籍に期待するのは、この点である。

「出版」という一連のプロセスは、実に多くの作業を経て完遂される。著者の原稿から、編集者による校訂、版下の作製、印刷、製本、販売店への送付、陳列…など。当然、各所にコストが発生する。現在、我々が手にしている「本」というメディアは、実にいろいろな人の手を経て作られているのである。

電子書籍というメディアは、この一連の作業のうち「版下の作成」「印刷」「製本」「送付」「陳列」といった、いわば「一番コストがかかる部分」を、ごっそりショートカットすることが出来る。その代わり「原稿のスキャニング」または「原稿の文書化」といった新たな作業が発生するが、最近の作家はおおむね計算機によって原稿を書いているであろうから、その手間はかつてと比べるまでもなく簡略化されている。

さて、書籍の再版において、新書と最も異なる部分。それは「話題性の欠如」という一点である。一言で言えば「売れるか売れないか分からない」のである。一部の熱心な読者が再版を要求したところで、一度版下を作ってしまえば、ある一定数の「本」を印刷しないと、コスト的に採算が取れないのである。

ところが電子書籍では、その「一番コストがかかる部分」をカットできる。それどころか、一度スキャニングの上で電子文書化してしまえば、1部であろうが1000000部であろうが、販売までに全ての作業は終わっているわけだから、追加のコストが発生しない。その本を要求する人が何人であろうと、出版する側の手間は一度だけ。すなわち電子書籍は、現段階において「再版において最も力を発揮する」メディアなのである。権威ある過去の専門書なら出所もはっきりしていて、改めて構成の必要性も薄いであろうし、出版社が最も嫌がる手間とコストのかかる作業が全てカットでき、読者は同じ情報のメディアを安く確実に手に入れることが出来る。

しかし、負の側面にも言及せざるを得ないであろう。コストがカットされるということは、そこで働いていた人たちはどうなる?職を失ってしまうことになる。急激な改革は、そのような負の遺恨を深く遺してしまうこととなる。

ではどうすればいいのか?

まずは前述の通り、過去の大いなる遺産…専門書の再版を早急に進めていき、新書の販売は徐々に進めていくのがいいだろう。残念ながら、電子書籍というメディアは、現代の幅広い情報媒体から見れば、まだまだマイノリティだ。飛びつくのは一部のギークな人々か、またはその可能性にいち早く先見の明を見いだし、有効に活用しようとする人々である。そのような「一部のギークな人々」に対して1から10まで相手にしていてはキリがない。なので、まずは有効に駆使できる環境を持った人々…研究開発系の職業の人々に対してアピールしていくのが有効ではないか?と考えている。

まあ、これは自分の勝手な考えと理想であり、これから先どうなっていくか全く分からないけども。

楽しみだな、読みたい本の選択肢が広がる世の中。

以上。

2011年1月11日火曜日

新年しぼり

高校からつるんでる友達のかーちゃんが居酒屋さんをやってて、お酒をいただいた。

新年しぼり。

干支の入った絵馬が付いてきて、とてもナイスなデザイン。

さっそくいただく。

うん、とにかく飲み口が軽い。それでいて、しっかりとコクもある。フルーティとでも言うのかな?純辛口ではないが、冷やすと正に水の如し。米のワイン。こんな飲みやすいお酒は、昔飲んだ福島の「幻」以来だ。

少し室温に慣れてくると、後味に「日本酒」が顔を出す。若干の吟醸香を含みながら、うっすら消えていく。「しぼりたて」ってはじめて飲んだけど、みんなこんな感じかな?

いずれにしろ、開けてしまったからには早く飲まないと。

以上。

2011年1月10日月曜日

初雪

静岡に雪が降りました。

北海道とは比較できないほど積雪は少ないですけど、一年に一度降るか降らないかの雪なので、地元の連中ははしゃいでおります。

昼間に職場に行って夜に帰ってくるまで、雪は一日中残ってました。今日は寒かったんだねぇ。

そんな気はしないと上司に言うと、やはり変だとのこと。人間は環境で進化するのだよ。

以上。

2011年1月9日日曜日

隠された宝、逆に言えば隠されているから宝。

今日は熱海に行ってきました。んで、行ってきました。温泉街と言えば悲報館、いや「秘宝館」に。


夕暮れの太平洋をバックに燦然と輝く「熱海秘宝館」の文字。この時点で怪しさ満点。一度行ってみたかったんだよね。どれだけバカバカしいか見てみたくて。

中に入る。入館料1700円。高すぎる。この際仕方ない。壁には有名人のサインがズラリ。ベッキー、辺見えみり、みうらじゅん…。あ、やっぱりみうらじゅんか。こーいうの好きそうだもんな。「勝手に観光協会」とかで視察に来てたのかな?

内部は写真撮影禁止だったので、画像はありません。でも…内容を一言で言えば「これ以上踏み込むとただの低俗、という一線を、ギリギリ越えていないエロ」とでも言おうか。いい大人が笑って済ませられるレベル、という印象。

ただ、やっぱりダメな人はダメなんだろうね、こういうの。逆に言えば、いい大人になってこういうのを笑って許せる人は、却って健全なんじゃないか?という気もする。 潔癖すぎるのもあんまり面白くないだろうしね。

意外と女性客が多かった。それも女性だけの団体が。一緒に行った友人が「この中でひとりでもこういうノリが嫌いってヤツがいたらどうすんだろ」て言っていたが、基本的に女という人々は、ノリの違う人間と集団行動することはないだろ。偏見かも知れないけどね。

こういう昭和の香り漂う温泉文化って、今や貴重だよなぁ。

熱海秘宝館ウェブサイト
http://www.atami-hihoukan.jp/

以上。

[演奏記録]Sunset(Gary Moore)

部屋を片付けていたら、懐かしいものが出てきた。中学、高校と使っていたギターエフェクター「ZOOM 1010」。当時はマルチエフェクターで1万円!という衝撃的価格で一世を風靡したZOOM社の製品。最近はあんまり見ないけども、元気でやっているだろうか…。


中学の時は、これをオーディオのアンプにつないでゲロゲロに歪ませて、トンデモナイ音を出していたっけ。とりあえず「歪めばいい」という年頃ですから。あのときは若かった。そして、お金貯めてマーシャルのJCM-900とギブソンのレスポールを買ったんだっけ。AC/DCのアンガス・ヤングっぽい音が出したくて。その辺りから「歪みを抑える」ということと「ピッキングで歪ませる」事を覚えたんだっけ。

でも未だにゲロゲロな歪みは大好物だ。たまーにトランジスタ臭い「ビャビャビャーー」って音も恋しくなるのよね。というわけで、たまに発掘したこのエフェクターで、多重録音をしてみましたよ。

1分ちょっとなんで、是非聴いてみて、批評を頂けたら幸いです。

"Sunset"
(作曲)Gary Moore (ギター)プラズマさん


うん、音を作り込まなかった分、これが限界。とにかく歪ませないとペケペケな音になっちゃう。そういうエフェクターなんだろうか…。思い出せない。

ゲイリー・ムーアと言えば泣きのギター。だけど、それにしてもコード進行が素晴らしい。こういうコード進行は勉強になる。オンコードとナインスの組み合わせとか、とってもジャズ的で都会的。でも、真似したくても出来ないんだよなぁ。精進精進、っと。

以上。

2011年1月8日土曜日

[演奏記録]ひとりクリムゾン「Red」

その昔、バンドで演奏したクリムゾンの「Red」をひとりバンドで演奏しました。

音作りが難しい…。やはりビッグマフが必要か?高いんだよな、あれ。作ろうかな。

そして、やはり決まらない中間部のギターベース。予想通り!




もっとドラム上手くなりたいね。

以上。

2011年1月7日金曜日

眼光

狙ってるねぇ。

先日、九州のばーちゃん家に行ったときに「馬肉」をもらってきた。これを「柚子胡椒」とショウユにつけて食べると絶品!

今日のコイツは馬肉を狙っていたと思われる。

しかし、柚子胡椒を開けて、目の前に置いた途端、渋い顔をして逃げ出した。

やっぱり、ネコはこーいうにおいが苦手みたいだね。

今日も疲れた。

そういや、職場に新しい人が面接に来ていたっけ。真面目そうな人だったな。

自分は見た目が不真面目な感じだから、なめられないように気を付けよう。

以上。

2011年1月5日水曜日

戦車

いや、洗車中。

以上。

下劣

こんな15歳。

まだまだ元気。

以上。

2011年1月4日火曜日

視神経

どうも左右の焦点が合わなくなってきた。視神経を酷使しすぎて、未だ車に乗っているような視点の合わせ方になってる。

だから、車に乗ってると自然と視点が合う。

重傷だな…。

人間の神経というものは、非常に優秀な制御を行っていて、ある一定期間の「継続期間」があれば、それを自然な状態だと認識し、代謝を抑えたり、逆に多くしたりする。言ってしまえば、環境適応能力が備わっているのである。視神経もまた然りで、一定の期間、体にとって負担になるようなことを継続して行えば、それを負担にならないようなやり方に移行する。今回の運転疲れも、恐らく車窓から流れていく風景を見続ける作業を長時間続けていたために、勝手にそういう体になってしまったのだろう。

復旧するには時間がかかりそうだ…。パソコンだったら強制終了してシャットダウンして、再起動すれば直るのに。人間だとそうも行かない。

さて、これから仕事だわ。

以上。

2011年1月3日月曜日

帰ってきた

静岡に帰ってきました。
無謀だった!

帰りの行程だけでも…。
・移動距離1200km
・休憩時間0分
・高速料金2100円(下関→静岡)

地図で見ると…ひどいね!

というわけで、明日から元の生活に戻ります。
いや…今日も今から行かなきゃいけないんだけど。

以上。

2011年1月1日土曜日

新年

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

明日、また福岡を発って、静岡に戻ります。

鳥取の映像を見ると不安で仕方ないが…。

以上。