テレビで「優先順位」について放送されていた。
要するに「同じ仕事をやっているのだけれども、その順番が優先すべき順番に為されていないがために、結局残念な結果になってしまう」という内容だった。
音楽についても全く同じことが言えると思う。
「音楽を演奏する」ということにおいて、譜読みという作業は大事なことだ。初心者なら尚更のこと。ある程度の経験があって、適切なセンスの積み重ねが出来ているのならばまだしも、楽譜を入手して、いきなり楽器を手にして曲練習、合奏に参加するというのは考え物だ。伴奏メインなら特にその必要性を考えて欲しい。
音楽というモノは主に
・旋律
・和音
・リズム
で構成されている。その3つの中で一つの楽曲を支配しているもの、それは間違いなく「和音」と「リズム」である。断じて「旋律」ではない。
何故か?和音の切れ目はリズムによって支配される。逆に言えば、和音の切れ目が「リズムそのもの」である。そして、和音というものは、旋律に用いることの出来るスケール(音階)を限定する。和音によって、使える音(和音の構成音に付随する音、またはその導音など)が限られているのであるから、このことは必然的と言える。
「アドリブ」というものはめちゃくちゃに演奏することではなく、ある一定の「コード進行」に沿って演奏しなければならないことは常識であるが、では「逆のパターン」はどうか?単一の旋律には、ただ一つの和音しか対応できないのか?
答えは「No」である。一つの旋律には複数の和音の組み合わせが考えられる。
和音の基本は「1度」「5度」「4度」であるが、それに他の度数、テンションノート(9度、11度、13度、フラット5)を組み合わせることも出来る。そして、そのようなコード進行を如何に組み立てていくか?が「センス」と直結するのである。
「良いコード進行=センス」には「幅広く音楽を聴いている」裏付けが必然とされるだろう。
音楽は、上に挙げた3つの要素が複雑に混じり合って構成されている。ただ、どうしても旋律に耳が行きがちであるが、残りの2つも旋律と同じくらい、場合によっては旋律以上に音楽を支配しているわけである。単純に「優先順位」を決定づけず、その本質を客観的に眺めることが肝心なのではないだろうか?
そして、その重要性を認識した上で「自分の役割は何か?」ということを深く考え、譜読みをする。一見遠回りであるような気がするが、幅広い音楽の「汎用性」を追求するならば、このような段階を経るべきであると思う。「譜読みのない曲練習」は、曲を使い捨てにしていることに他ならないのである。
意見のあるお方、どうぞお聞かせ願いたい。
以上。
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