電力使用量NOW

2011年1月12日水曜日

電子書籍について考える

さっきのニュースで「電子書籍」についてやっていた。最近よく聞くこのワード。昔から日本人は「電子○○」という言葉が好きだ。アナログ媒体と同じ機能が機械で実現されると、よくこの言葉を引っ張り出してくる。「電子マネー」とか、その最たる例だと思う。ただ、電子って「Electron(電気的な性質を持った粒子)」のことだよね。「電子○○」よりも「ソフトウェア○○」の方がいいと思うんだけど。

まあ、前置きはここまでにして、電子書籍というものが今後、どのような期待を向けられて発展していくメディアか、ということを考えてみようと思う。

例えば、以下の本を見て欲しい。


これは「MIT Wavelength Tables」という、分光測定を生業とする人々にとってバイブルとも呼べる専門書である。かつて自分が在籍していた研究室では、この本を長らく読むことは出来なかった。何故か?それは絶版だったからである。

他にも、2原子分子の発光分光スペクトルを測定する際に「必要」とされる、こんな書籍も絶版という理由で読むことが出来なかった。


現在は幸いにして、両方とも英語版で再版され、Amazonでも購入することが出来る。しかし、かつて存在したとされる日本語版は未だ再版されていない。同じような理由で「読みたいけれども読むことが出来ない専門書」というものは数多く存在するに違いない。

私が電子書籍に期待するのは、この点である。

「出版」という一連のプロセスは、実に多くの作業を経て完遂される。著者の原稿から、編集者による校訂、版下の作製、印刷、製本、販売店への送付、陳列…など。当然、各所にコストが発生する。現在、我々が手にしている「本」というメディアは、実にいろいろな人の手を経て作られているのである。

電子書籍というメディアは、この一連の作業のうち「版下の作成」「印刷」「製本」「送付」「陳列」といった、いわば「一番コストがかかる部分」を、ごっそりショートカットすることが出来る。その代わり「原稿のスキャニング」または「原稿の文書化」といった新たな作業が発生するが、最近の作家はおおむね計算機によって原稿を書いているであろうから、その手間はかつてと比べるまでもなく簡略化されている。

さて、書籍の再版において、新書と最も異なる部分。それは「話題性の欠如」という一点である。一言で言えば「売れるか売れないか分からない」のである。一部の熱心な読者が再版を要求したところで、一度版下を作ってしまえば、ある一定数の「本」を印刷しないと、コスト的に採算が取れないのである。

ところが電子書籍では、その「一番コストがかかる部分」をカットできる。それどころか、一度スキャニングの上で電子文書化してしまえば、1部であろうが1000000部であろうが、販売までに全ての作業は終わっているわけだから、追加のコストが発生しない。その本を要求する人が何人であろうと、出版する側の手間は一度だけ。すなわち電子書籍は、現段階において「再版において最も力を発揮する」メディアなのである。権威ある過去の専門書なら出所もはっきりしていて、改めて構成の必要性も薄いであろうし、出版社が最も嫌がる手間とコストのかかる作業が全てカットでき、読者は同じ情報のメディアを安く確実に手に入れることが出来る。

しかし、負の側面にも言及せざるを得ないであろう。コストがカットされるということは、そこで働いていた人たちはどうなる?職を失ってしまうことになる。急激な改革は、そのような負の遺恨を深く遺してしまうこととなる。

ではどうすればいいのか?

まずは前述の通り、過去の大いなる遺産…専門書の再版を早急に進めていき、新書の販売は徐々に進めていくのがいいだろう。残念ながら、電子書籍というメディアは、現代の幅広い情報媒体から見れば、まだまだマイノリティだ。飛びつくのは一部のギークな人々か、またはその可能性にいち早く先見の明を見いだし、有効に活用しようとする人々である。そのような「一部のギークな人々」に対して1から10まで相手にしていてはキリがない。なので、まずは有効に駆使できる環境を持った人々…研究開発系の職業の人々に対してアピールしていくのが有効ではないか?と考えている。

まあ、これは自分の勝手な考えと理想であり、これから先どうなっていくか全く分からないけども。

楽しみだな、読みたい本の選択肢が広がる世の中。

以上。

0 件のコメント:

コメントを投稿