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2010年9月11日土曜日

音楽論

Amazonのレビューを見ていたら、なかなか面白いレビューが見つかったので眺めていた。
こういう討論は嫌いじゃないね。

Chick Corea「Return To Forever」
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B0000262QW/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R9TNRN7QYI5L9

要するに、革新的な何かを伴わない限り、これから先のジャズやフュージョンに未来はないよ、ってことらしい。

ジャズという音楽は、その根底に民族というものが存在している。
対して、クラシックという音楽は、その根底に宗教というものが存在している。
いわば、この2つは「聖」と「俗」、極端に言ってしまえば相反するベースを持つ音楽であるわけだ。

しかしながら、歩んできた道筋はまさにLong and Winding Road。紆余曲折を経て現在に至る。節目節目にザ・グレートが存在し、その流れを変えてきた。クラシックで言えばバッハ然り、ベートーベン然り、ブラームス然り。ジャズで言えばマイルス然り、コルトレーン然り、チャーリー・パーカー然り。

しかし、この2つの音楽には唯一かつ決定的な違いが存在する。
それは「作曲者の残した音源が現存するか否か」ということである。

当然、バッハやベートーベンの時代にはレコードというものは存在せず、音楽を記録する手段というものは楽譜しかあり得なかった。対してジャズの歴史は約100年。ごく初期のものを除いて、当時の録音というシロモノは十分に存在する。

つまり何が言いたいか?
ジャズは作曲者が意図した通りの演奏に直接触れることができるのである。
クラシックはそれができない。楽譜から想像するしかないのである。

ここにそれぞれの面白さがあるように感じる。

ジャズは、いわば唯一無二のオリジナルが現存するからこそ「カヴァー」というか、テーマ・アドリブ・テーマといった流れの中の「その時の奏者のアドリブ」という聴きどころがあるのであって、作曲者が残したアドリブを一音たりとも間違わず、完全にコピーすることに面白みは無い。いや、面白いかも知れんが、大した意味はない。

対してクラシックは、その当時の作曲者の初演録音が存在していないからこそ、作曲者の意図に思いを馳せつつ「再現」にこだわるのであり、その当時の作曲者の解釈をあれこれと考えてみたり、いやいや…斬新な解釈をしてみたり、この時代の演奏スタイルというのはだな…ということが面白いのであって、曲中のソロの音符を書き換えてしまう、という行いは御法度とされている。

結局、両者とも聴き比べが出来る点が素晴らしいのである。
目的と手段はまるっきり逆にもかかわらず、ね。
そして、やる気になれば演奏する側にも気軽に回れる。

だから、小難しいこと考えないで、気楽に楽しもうよ…とつくづく思うんだけども。

「あれに似ている」「コレのパクリだ」とか言い出したらキリがない。
クラシックとジャズ、そしてロックなんて、もっと仲良くできると思うよ。

以上。

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