プラズマと音楽、車と酒
最近の高校では文型をまともに教えないのか?そもそも品詞に全く気が向いていない!
せめて名詞、動詞、形容詞、副詞の違いくらいはしっかりと意識してほしい。
多分、中学の時の勉強なんだろうなぁ。教育現場で働きはじめて、現在の英語教育に対する文句が山のように噴出しそう。
もっとシステマティックに英語を教えればいいのに。
以上。
システマティックに教えるのは、中学校では無理でしょう。なぜなら、物事を理解しようとしない子どもたちがたくさんいるからです。まずは会話から徐々に英語に慣れていき、その英語の文法的な話を深くやってあげることのほうが有意義な気がします。
コメントありがとうございます。英語に対して学ぶ意欲を持たない子供に英語をシステマティックに教えるということは、確かに無理がある気がします。ただ、受験英語と会話英語の間には、大きな離反がある気がしてなりません。受験というのは「受験者の中で誰が一番高得点を取得できるか?」という類のものではありませんから、学校ごとに難易度を設定し、基準に合わせた選抜を行うという方式は正しいと考えています。しかし、学校のテストに出題されるであろう問題というのは、結局は「文法の理解度」を問う問題ばかりであり、会話能力を問う問題ではありません。文法を理解することというのはご存じの通り、一つの文からある種の法則性=文法上の決まりを見つけ出す作業ですから、その作業は「文法」という、一種の法則性(=システム)を学んでいることが前提となっています。システマティックに教えた方が良い…と考えたのは、学校のテスト、しいては英語長文の理解において、ここに大きな比重が置かれていると強く感じたからです。中高の教育現場で「コミュニケーション能力が大切だ!」と謳いながら、高校入試や大学入試に出題されるのは…所詮文法力が問われる「会話文」であり、「肝心なはずの」会話能力を問う問題が出題されないのは大きな疑問です。出題されるとしても、それは英語をメインに据えた「英文科」などの2次試験であり、センター試験においても「リスニング」という、会話の一方通行しか出題に挙がらないことに疑問を感じます。私が「文句を言いたい」と強く感じているのは、主にこの部分です。言ってることと要求されることの差違…と言うか何というか。ただ「英語に慣れる」という段階においては、匿名さんのおっしゃる通り、会話として声に出して読むという作業は非常に有意義だと思います。…というか、「会話」と「文法」と「読み書き」は切っても切り離せないものだと考えておりますので、どれかが欠けてもダメでしょう。一番良いのは、聞いて、読んで、意味を理解して、文法的な解釈をする、という流れなんでしょうけどもね。有意義かそうでないか、と言う論点ではなく、教育の現場でさけばれていることと受験英語との溝が深い…という意味での発言でした。残念ながら、英語に対する学習意欲のない子供には、英語を教えても無駄なのかも知れません。そういった子供は、自分で考えて他の道を見つけていけばいいと考えています。英語は突き詰めれば「手段」であり「目的」ではないのですから、必要なときに必要に迫られれば、イヤでも勉強することになるでしょう。そこを「教師の怠慢だ!」と責められればそれまでではありますが、残念ながら今の英語カリキュラムがそのように出来ていない「中途半端なものである」という感が否めないものですから。もちろん個人的な不満ですけども。鋭いご指摘をありがとうございます。私、しがない若輩者の分際ではありますが、またツッコミどころがありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
システマティックに教えるのは、中学校では無理でしょう。
返信削除なぜなら、物事を理解しようとしない子どもたちがたくさんいるからです。
まずは会話から徐々に英語に慣れていき、その英語の文法的な話を深くやってあげることのほうが有意義な気がします。
コメントありがとうございます。
返信削除英語に対して学ぶ意欲を持たない子供に英語をシステマティックに教えるということは、確かに無理がある気がします。
ただ、受験英語と会話英語の間には、大きな離反がある気がしてなりません。受験というのは「受験者の中で誰が一番高得点を取得できるか?」という類のものではありませんから、学校ごとに難易度を設定し、基準に合わせた選抜を行うという方式は正しいと考えています。
しかし、学校のテストに出題されるであろう問題というのは、結局は「文法の理解度」を問う問題ばかりであり、会話能力を問う問題ではありません。
文法を理解することというのはご存じの通り、一つの文からある種の法則性=文法上の決まりを見つけ出す作業ですから、その作業は「文法」という、一種の法則性(=システム)を学んでいることが前提となっています。システマティックに教えた方が良い…と考えたのは、学校のテスト、しいては英語長文の理解において、ここに大きな比重が置かれていると強く感じたからです。
中高の教育現場で「コミュニケーション能力が大切だ!」と謳いながら、高校入試や大学入試に出題されるのは…所詮文法力が問われる「会話文」であり、「肝心なはずの」会話能力を問う問題が出題されないのは大きな疑問です。出題されるとしても、それは英語をメインに据えた「英文科」などの2次試験であり、センター試験においても「リスニング」という、会話の一方通行しか出題に挙がらないことに疑問を感じます。
私が「文句を言いたい」と強く感じているのは、主にこの部分です。言ってることと要求されることの差違…と言うか何というか。
ただ「英語に慣れる」という段階においては、匿名さんのおっしゃる通り、会話として声に出して読むという作業は非常に有意義だと思います。…というか、「会話」と「文法」と「読み書き」は切っても切り離せないものだと考えておりますので、どれかが欠けてもダメでしょう。一番良いのは、聞いて、読んで、意味を理解して、文法的な解釈をする、という流れなんでしょうけどもね。
有意義かそうでないか、と言う論点ではなく、教育の現場でさけばれていることと受験英語との溝が深い…という意味での発言でした。
残念ながら、英語に対する学習意欲のない子供には、英語を教えても無駄なのかも知れません。そういった子供は、自分で考えて他の道を見つけていけばいいと考えています。英語は突き詰めれば「手段」であり「目的」ではないのですから、必要なときに必要に迫られれば、イヤでも勉強することになるでしょう。そこを「教師の怠慢だ!」と責められればそれまでではありますが、残念ながら今の英語カリキュラムがそのように出来ていない「中途半端なものである」という感が否めないものですから。もちろん個人的な不満ですけども。
鋭いご指摘をありがとうございます。私、しがない若輩者の分際ではありますが、またツッコミどころがありましたら、どうぞよろしくお願い致します。