電力使用量NOW

2011年3月18日金曜日

原子力発電と今後のエネルギー展望について個人的考えを

Twitterに垂れ流した内容を少々補筆しながら転載してみた。

今、福島第一原発の事故を受けて、日本中、いや世界中が原子力エネルギーを見直す機会に直面している。時代は、エネルギー政策の大きな転換期を迎えているのかも知れない。電力を生み出す手段は多々存在する。しかしながら、既存のシステムの多くが、局地的に電力を大量に発生させ、それを送電線で送り出す、いわば一極集中型のシステムである。今回の震災で浮き彫りになったことの一つが「電気を生産する工場=発電所が操業不可能になったときにどうするか?」という、言ってみれば最も基本的なことであった。

個人的展望として結論を一つ。家庭用燃料電池の問題点と対策について早急に考察し、推進を進めていくべきなのではないだろうか?ただ、燃料電池は水素を必要とするから、水素の貯蔵が大きな課題となるのであろう。

うちの母親も勘違いしていたが、電気というものは物理的に「直接蓄える」ことができない。バッテリーやNi-Cd、最近はLi-Ionなどの蓄電池(二次電池という)に対する充電というのは、電気による化学反応を利用して、電気そのものというよりも「電気を生み出す力」を蓄えている、と言った方がいいのかも知れない。

電力需要は、時間によっても大きく異なっている。電力会社各社は、その1日のサイクルの中で、一番需要が見込まれる時間(=ピークタイム)を「電力需要」としているため、そこに達する電力を提供できない今回のような場合、計画停電に踏み切らざるを得なかった。

ただ、ピークに合わせて「需要」を見込んでいるため、オフィスや家庭が休止する深夜から明け方までは、余剰電力となってしまう。ジェネレータを停めてしまうと、再起動に時間がかかるため、ジェネレータは常に回しっぱなしなのである。そこで、その余剰電力を有効活用するため、いくつかの方法がある。

まずは、水力発電所のダム水を、余剰電力を使ってポンプでくみ上げ、必要な時間帯に発電に使用すること。この方法は、いわば「力学的な充電」であって、有効に余剰電力を使用する一つの古典的方法である。

もう一つは、かつて注目を集めていた「燃料電池」に使用する水素を、水の電気分解によって生産する方法。ただ、燃料電池の計画は近年閉塞感を見せており、自動車業界では燃料電池車よりもEV(Electric Vehicle)やPH(Plug-in Hybrid)に主眼を置いているようだ。というのも、現段階で生産される工業用水素は、実は化石燃料の改質によって生産されており、その実態はかせき

しかしながら、今回の震災を見て、エネルギーの調達という根本的な課題を解決するために、運搬、貯蔵時の安全性の確保、水素生産効率の向上さえ達成できれば、燃料にもなる、電気にもなる、使用したあとは水になる、三拍子そろった万能な水素は非常に有効な手段になり得るのではないだろうか?と、ふと考えた。

特に、使用したあとはCO2やNOxなどのガスに変化する化石燃料と違い、水へと変化する水素の特性は魅力的である。純水なので直接の飲み水…というワケにはいかないだろうが、トイレや洗濯などの生活用水として利用することは十分可能だろう。しかも、実際には触媒との反応により発生するのは高温の「水蒸気」である。使用方法によっては、何と「暖房」として使えなくもない。

ここまでで言いたいことは、かつての私のような「資源がないから原子力に逃げる」ではなく「資源のない日本でエネルギーを安全かつ効率的に生産するにはどうすればいいのだろうか?」ということを、もう一度考えてみる必要があるのではないか?ということだ。その一つの回答として家庭用燃料電池システムが存在する、ということを挙げてみた。水素を資源として見てみれば、日本の周りは海だらけ。資源の宝庫である。しかも海水は多量のミネラル(=無機物:イオン)を含むため、電気を通しやすい。すなわち、電気分解が容易である。

風力発電や太陽光パネルなどがエネルギー問題の有効な解決手段であると考えるお方もおられるかも知れない。しかしながら、このような天候に左右されやすい発電方法は、安定した電力を求める需要家、すなわち工場に嫌われがちである。個人的には、このような器具によるエネルギーは、直接のエネルギー資源としてではなく、前述の「水力発電所の揚水」や「水素発生用の電気分解」に用いるのがベストなのではないか…と思っている。

とにかく、今後のエネルギー産業のあり方を根本から揺るがす大きな災害が起こったのだから、我々技術者は、今後のエネルギーのあり方について、大きく方向転換を迫られることになるであろう。

技術というものは、人々の暮らしを豊かに、そして幸福にしていくものであるはずだから、技術によって人々に恐怖を与えてはならない。今回の原子力発電所事故で、日本のみならず、世界中の人々がそのことを痛感したはずだ。

私も今までは、資源のない日本がエネルギーを生産するためには原子力止む無し、と考えていた。理論的に何が危険で、どういう対策が取られているのかを知るために原子力工学も勉強した。もちろん、古典物理学、無機化学、理論化学、量子力学や発電変電工学も勉強した。しかし今、抜本的な意識改革を迫られている、そんな気がする。

どうか、世界中の技術者が、今回の事故を機に意識改革を始めてくれれば…そして、これから育って行くであろう技術者の卵(今は学部生や高校生)には、切にそう願わずにはいられない。

以上。

注意:私は一通りの電気・電子工学課程を修了し、マスターの学位を取得した人間ではありますが、ただの一個人の希望的観測として読み流していただければ幸いです。特に、水素発生から貯蔵、運送技術にはまだまだ改善の余地があり、特に貯蔵・運輸に関しては「水素脆化」という、貯蔵容器の耐水素性に関する問題が主な阻害要因であります。水素吸収合金など、いくつかの有効とされる解決法が提示されていますが、なかなか活路が見いだせない状況であります。

0 件のコメント:

コメントを投稿